朝の花、夜の花 240207
2024/2/9
朝の花は、愛らしく屈託のない庶民だ。そして夜の花は、シナを作る個性的な舞台俳優だ。
朝は、花を大きく包み込むように光が取り巻く。太陽光が満ちていると、照明光は無力に等しい。姿態や表情、肌合いまでもあからさまに照らし出されると、人は自らを演じることを諦めざるを得ない。花も同様だ。影は濃くても、陰を纏うことはできない。
夜は、部屋の中では月の光も届かない。空間は暗転した舞台と化す。ホリゾントの照明がほのかに夜を感じさせたりするところで、不意に細いスポットライトが当てられると、俳優である花は、キメのポーズで観客にアピールするのだ。
私は退職してから、朝のいけばな教室も始めた。そして、夜の教室と比べて、自分の気分も生徒さんの作品もまるで違ったものになることをつくづく感じている。午後の教室も始めたので、それはそれでまた違った体験が得られている。草月では、花を「場にいける」と言う。だから、朝は朝の良さを生かし、夜は夜の良さを生かす。
いずれにしても、太陽光が少ない状況での照明光が果たす役割の大きさに、今更ながら驚いている次第。
一期一会のいけばな 240206
2024/2/8
私がいけばなを始めた頃、デジタルカメラは普及しておらず、フィルム現像式の現像料金が高かったため写真はほとんど撮っていない。だから、お稽古でいけた習作はスケッチで書き留めていた。その紙の記録が、今も手元にある。
もっと昔、私は拙いロックバンドを仲間と一緒にやっていた時期がある。その頃の録音カセットテープが、今も手元にある。
音楽は、その昔、演奏の記録が残せるようになって、その性格を変えた。一握りのパトロンのための音楽が、大量消費のコンサートになり、そのライブ音源が複製によって大量消費されるようになった。また、本末が転倒し、不特定多数の世界中での大量消費を前提とした音楽が、記録媒体の複製用にスタジオで人目に触れず演奏されるようになった。
絵画でも、昔から版画という複製芸術が成立したように、音楽でも絵画でも記録と複製の技術によって、作品の数量と寿命が大々的に伸びたのである。
悲しいことに、いけばなは、いけ終わった瞬間から死にゆく滑り台に身を任せる。記録も複製もできないし、そもそも「完成の瞬間」を固定できる性質ではない。
黒い服 240205
2024/2/8
昇格試験がうまくいかなかった気分的なこともあって、今日は黒い服で過ごした。
1週間前、法事で喪服を着用したとき生地の右胸部分に皺があって、アイロンをかけても伸びてくれない。10年以上使ってきたので、そろそろ寿命だと諦めた。明日、新調しに行くことにしたが、今度の喪服の寿命は私の寿命といい勝負になりそうだ。
さて、いけばな展を開催するとき、男女共たいてい会期前の設営は黒ずくめで、会期中は盛装という切り替えが求められる。設営は非公開なので、服装などどうでもいいではないかと思われるかもしれないが、バックヤードで様々な第三者に会う可能性が高いことから、裏でも油断しない構えだ。
公開の場でいけこみ(設営ライブ)する場合は、いける姿も展覧の一部だと捉えて盛装することがある。これは、特に単独で臨むときに多い気がする。一方、1つの作品を複数人でつくる合作では、メンバー全員が黒子に回り、作品を主役とする。
作家として立つときは盛装で、技術者・職人として立つときは黒ずくめ。これは全く個人的な理解の仕方だが、あながち間違いではないだろう。
ひろげさがす 240204
2024/2/5
今日は、草月の昇格認定試験だったが、筆記試験の花型図で失敗した! 知識がちゃんと身に付いていなかったからからである。出直しが必要である!
私はこの数か月、いけばなを軸にあれこれ考えてきた。ここに至っても、あれこれ考えることには諦めがついていない。一点集中で考えるやり方はあるだろう。しかし、性分としてあれこれ考えてしまう気質は入れ替えがきかなさそうだ。
芸術としての位置づけを自分なりに考えてみたし、生活文化としての捉え方もしてみた。音楽やダンスなどとの関連性や、俳句的な性質を思い描いたり、書との響き合いも試したりした。しかし、それらはすべて、いけばなとの関係においてのことである。気持ちはピュアだ。
昔、「読売アンデパンダン展」というのがあって、間接的に知っている。無審査美術展なので、主催者の考えが及ばない作品が出品されるなど(腐って異臭を発するなど)収拾が付けられず、結局開催されなくなった。
糞味噌ごっちゃにしていくことは避けるとしても、空気清浄機で浄化するような、排除につながる“無菌いけばな”になることは避けたい。
いけばなは未完の物語Ⅱ 240203
2024/2/3
花瓶に草物の花だけをいけると、全部が同じ頃に枯れ始める。しかし、いけばなでは、枝物などを草物と併せて使うので、枯れ始めるのに時間差が生まれる。草物が枯れても、もったいないから枝物は残しておく。水を替えながら大事に扱えば、2か月も元気でいてくれることもある。
偉そうな場面だけでなく、家庭でも花を上手にいけられないと、昔は姑から嫌味を言われた。花をいけるのは毎日のことなので、枯れない枝物に対して、花のあしらいを替えて臨んだ。各家庭に普通にあった「ぬか床」のように、ずーっと「古いまま新しく」し続けていく、切れ目も終わりもない行為。
これを思うと、いけばなは、芸術というより生活文化なのかもしれないが、日本人は、ただ花をいけることで済ませられず、それを華道にまで高めた。
日本人は、生活と芸術、生活と宗教、生活と哲学というふうに分けることをして来なかったから、芸術や宗教や哲学などと取り沙汰されると苦手だと敬遠したけれど、いやいやどうして、日本人だけが、生活の中に華道や書道や茶道などを平気で溶け込ませて来たのではないだろうか。