越境 250131
2025/1/31
今日、写真家の村上亘さんと佐々木知子さんとのトークショーに行った。自身が絵も描く村上さんは、彫刻家や音楽家と制作過程で意見交換したり示唆を与えあうことの楽しさを語った。社会学をやる佐々木さんも、写真以外をどれだけ知っているかが写真家としての表現力を高めるためには重要だと言った。
私の経験上、「門外漢は黙っておれ!」とか、「若造が他人を批評するのは10年早いわ!」などと、石の上にも3年以上の玄人しか発言してはいけないと圧力をかける人が、特に地方都市にはうようよしている。それに対する鬱積が晴れて嬉しかった。
食べ物でも、たくさんの種類を摂取してこそ健康な体が養われるのだ。そして、健康な心を養うためには、たくさんの人やたくさんの物事に出会わなくてはなるまい。もし、たくさん人に出会えない環境にあったら、本であっても音楽であってもいい、人が表現したものにどんどん出会うべきだ。
草月流は、創始されて以来、ハイブリッド化にはとても貪欲だと思う。それは、いけばなをないがしろにするどころか、いけばなに幅と深みをもたらしてくれる。
いけばなビジネス 250130
2025/1/31
旧来の慣習で、花をいける行為に対して十分な対価が支払われてこなかった。いける側も、いけるチャンスが得られるだけで良しとして、花材代を持ち出しながら手弁当で向かう。いけてもらう方も、そういうものだとあぐらをかいて、ボランティア活動を受け入れてきた。
いけばなをビジネスを成り立たせるためのプランとしては、「いけばな作家」での成功が考えられる。印象的なキャラクターづくりをして、テレビやネットなどの媒体をうまく使うことで成功率を高める。また、名声欲や金銭欲などを強く持つことも下支えになる。假屋崎省吾さんは、典型的な存在だろう。
作家としては、もちろん評価される作品づくりが基盤となる。話題性のある環境設定のコーディネート力と、よい作品をつくり出す実力が必要だ。職人的、芸術家的なアプローチである。
もう1つのプランは、「プロデューサー」としてのアプローチである。1人での取組ではなく、いけばなをする人たちの総合力を発揮する場づくりを行う。社会的に、いけばながビジネスの成功に効果があることを証明するか、説得しなければならない。
多作、量産 250129
2025/1/29
この随想は、2023年の9月10日に始めた日記。見たり読んだりしたものをきっかけに、いけばなとリンクさせて書いている。考えを広げて、まとめ直したいという動機だ。
続けることを目標にしてきて、筆が進まないこともしばしばある。基準にしている文字数460字のために半日を費やしたこともある。筆に勢いが乗り過ぎてとても収まらないときは、切り口を変えて2回分に分ける。毎日書いていると、自分で自分の文章に飽き飽きすることもある。また、書きながら「同じことを以前も書いたぞ?」と、堂々巡りをしていることもある。そんなときは、しょうがないので思い詰めずに、流す。時に、別人になったつもりで書いてみる。
いけばなも同じだ。自分のパターン(作風)から抜け出せないと感じるときはやるせない。しかし、これも、数をこなしてこそのパターン化現象だと思って、自分を慰める。やはり、たくさんいけることは、それが余り意識的でなく惰性的であったとしても、それなりに大事だ。前にやったことがあるような、自分の過去のいけばなに再会するような気分になったとしても。
いけばな草月流 250128
2025/1/28
24年間も門下にいながら、先日、初めて知った事実が2つあった。草月流の新春懇親会パーティーでのこと。パーティー会場の入口やステージ上の懸垂幕には、「いけばな草月流」と掲示されていた。
しまった! この日この時まで、私は自分の思い込みに縛られて、事実誤認をしていたのだった。というのは、まず、「草月」と名乗るのと「草月流」と名乗るのと、どちらに正統性があるのかといえば、少なくとも今は「草月流」なのだろう。そして、「華道」か「いけばな」かといえば、「いけばな」なのだった。
家元がおっしゃるのだから絶対なのだが、それでも食い下がってしまうのが私である。公式テキスト『草月のいけばな』には、「草月流」よりも「草月」表記が多い(数えたわけではない)。それから、中学や高校には「華道部」はあっても、「いけばな部」は知らない。
私が用語にこだわるのは、言葉と心は不可分な関係だからである。正誤を問題にしたいのではない。表現が異なれば、必ずそれが意味する内容も異なっているはずなので、自分の行動をどう自覚しているかという大問題だからである。
どこも高齢化 250127
2025/1/28
1月26日、愛媛県砥部町の町議会議員15人の当選者が決まった。平均年齢65.3歳である(立候補者17人の平均は63.8歳)。ちなみに私は64.8歳。電車に乗ってもデパートへ行っても、飲食店に行ってもホテルの朝食会場でも、自分に近い世代が多くて鬱陶しい。
私がいけばなを始めた40歳の時、草月の愛媛県支部には20代、30代の会員もたくさんいて、未来が開けているように感じていた。それから少しずつ会員は減り続け、高齢化も進んできた。町村議員のなり手がいない自治体が出ているように、草月会愛媛県支部の役員選出も覚束なくなってきた。
しかし、光明もある。そもそも華道なるものは、生涯続けられるものなので、仮に身体が衰えても、精神力である程度カバーできる。また、退職後の方が趣味に没頭できるというのは、父母のかつての様子を思い出しても明らかだ。
さらに言うなら、退職して社会的なしがらみに囚われない表現ができることも強みだ。自分勝手な美意識を支えに好き放題をやって、結果的にそれが批判されようとも気に留めず、最高のわがままを振る舞える。