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いけばな随想
diary

負のいけばな 240525

2024/5/29

中学生のとき、人造石を彫ってオルゴール箱を作った。漠然とトルコ風をイメージして、水色とサーモンピンクで箱を塗った。我ながら良い出来映えが嬉しくて、蓋を開けてはオルゴールを鳴らした。裸でむき出しのオルゴールの小さな機械が、厚みのある秘密めいた箱に収まっているアンバランスな組み合わせが、侵し難く大切に感じられた。私が「蓋物好き」になったのはそれがきっかけだ。以降、香合や文箱などが宝物である。

オルゴール箱からは音が出るし、竜宮城の玉手箱からは煙が出る。しかし、私の持っている香合や文箱のほとんどに中身が入っていない。空であり、無である。私が私淑している松岡正剛さんの言葉を借りればウツロである。

空や無は、充足感に対する不足感やマイナスの財産である負債にも通じる。そして、空や無がゼロであるのに対して、不や負はゼロ以下のマイナスなので空や無よりもウツロ度合いが高い。マイナス空間の入れ物は、蓋を開けたとたんに外から何かを吸引する。

マイナス箱には命が吸い取られるかもしれない。そんな負空間を持つ危ないいけばなをつくってみたい。

引くだけではない引き算 240524

2024/5/29

時代と国を越えて世の中にはいろいろな絵があるから、誰もわざわざ「いろいろな絵があるね」と言わない。でもいけばなに対する世間のイメージが狭いからか、「いろんないけばながあるんだね」と言われる。いけばなのスタイルやレシピが、料理の数ほどあるとは思われていない。

私はよく「引き算」という言葉を使ってきた。この「引き算」にもいろいろあることを言いたい。いけばなでは、使う花の種類を減らす引き算がある。本数を減らす引き算がある。大きさを小さくいける引き算もある。花器を使わないという引き算もあれば、いける時間を短くする引き算もある。。

ところが、だんだんわかってきた。種類を減らしても1種類をたくさん使ってボリュームアップできるし、小さくいけたら周辺空間は大きくなるし、引き算をしたからといって、作品が必ず小さくなるとか貧相になるということではないと同時に、単純に引き算だけをすれば、当然のように痩せっぽちで貧相ないけばなになってしまうということだ。

引くと同時に何かを足す、結局のところデフォルメこそが、いけばなの表現には必要だ。

虫と花 240523

2024/5/29

基本的に防虫剤を使わないので、いけばな教室の庭は生き物の楽園だ。蟻とミミズ、蚊やクモも多い。福岡正信氏の引き算の「自然農法」思想を聞きかじり、「虫に食い尽くされる以上に生長する植生」というビオトープに憧れていた。

だから、いけばなで使い残した枝ものは手当たり次第に挿し木をして、枯れる木もあるけれど、枝垂柳などは大木に育ち過ぎたので数年前に切った。

しかし、毎年のようにサルスベリはうどん粉病にかかるし、常盤万作にはアブラムシの帝国が広がる。桃とクチナシの若葉は青虫に丸裸にされるし、雨上がりにはヒメツルソバの茂みから這い出たナメクジがブロック塀を這い回る。今春はトキワサンザシに、初めて大量の黒い青虫が群がっていた。また、理由不明で50年物のツゲが枯れた。

そんなわけで、今年はついに病気や虫に効くスプレーをピンポイントで吹いて対処し始めた。それでも、ナメクジ駆除は箸でつまんで捨てるという完全無農薬方式だ。20匹も捕まえると割箸の先がぬめってしまうので、ハムシに食われて落ちたキンモクセイの葉で拭いながら黙々と作業する。

花は主役 240522

2024/5/28

酒の肴はアテなどとも呼ばれて、酒の引き立て役である。しかし、「酒肴(しゅこう)」と音読みで読むとちょっと高級な感じが出て、私なんかはそっちを主役にしてしまう。

居酒屋は文字通り酒を軸にした商売だが、人によっては晩飯に利用する。料亭はや料理旅館は料理が中心でしかるべきだろうが、人によってはいけないことやいいことに使う。文字通りというのは、実際には文字通りでないことが多いのだろう。

さて、いけばなのために生活はあるのではなく、生活のためにいけばなはある。しかし、これだって、人によって思いが異なる。いけばなに命を懸ける人から見ると、フラワーアレンジメントがなんぼのもんじゃいということだし、日常的に一輪挿しに揺れる花にロマンを感じられる人から見ると、華道とかいって肩肘張っていることが、結果的にはストレスを溜めているような不幸せに映ることにもなる。いけばなには興味がないけれど花は好きよ! という人はたくさんいる。

いけばなをする人は「花材」と呼んで花を材料扱いするけれど、花そのものが好きな人にとって、花は何かの材料ではない。

捨てる花 240521

2024/5/28

愛媛県の愛南町深浦漁港は四国有数のかつお水揚漁港で、一本釣りのかつおが冷凍せず活〆された状態で市場の競りに掛けられる。かつおは高知という先入観を覆すべく、このかつおのブランド化が図られた。

その際、権威ある料亭料理人が、そのかつおにお墨付きを与える役割で現地を訪れた。旨味の乗りもちょうど絶頂のタイミングで、彼は包丁の腕を振るったが、固唾をのんで見守っていた漁師や市場の人たちの表情が一様に曇った。料亭料理人が、臭みを極力残さないために血合い部分を大きく捨てたからである。地元の人たちは、魚一尾を徹底的に残さず使う。もったいないことをしない。

それぞれの流儀が、ぶつかってしまったのである。その後、市場併設の食堂では、ブランド化された“愛南びやびやかつお”のメニューは大人気で、それは洗練ではなく、地元らしさを売りにしている。

いけばなの花の使い方は、料亭料理人に近い。時には、生かす花よりも捨てる花の方が多い。私は、覚悟が足りないから、一度捨てた花を拾ってグラスや深皿にあしらう。残った花を全部使って、自宅の花器に詰め込む。

講師の事