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いけばな随想
diary

もう一押し 240527

2024/6/1

若い頃は徹夜も大好きだった。30歳代は、まだ半徹夜を連続でこなすことができた。明日の仕事に差し支えるというような不安はなく、納期を守るというよりも、もっと完成度の高い成果を実現することに妥協したくなかった。クライアントのためというより、クライアントをダシにして自分が描きたいゴールを完成させたかった。

しかし、実力・実績ともに足りないし、金力や人脈もないから、やれることといえば無我夢中で勉強するか、あらゆる会合や飲み会に出掛けてアピールするしかなかった。

いま、まだまだ自己犠牲の境地には至らないけれど、自分だけがよりよく生きたい狭い視点から、自分が生きやすい環境を整えたいという広い視野でゴールイメージをを描けるようになった。いけばなについても、自分が自分のいけばなをすることと同じくらいの気持ちで、高校生が華道部の活動に対してやる気を出せる環境をつくりたいということを考えている。

この態度が生まれたのは、ひとつには気力と体力の衰えがある。もう一押しの頑張りが利かないために、自分のもう一押しを他人に委ねたいのであった。

綺麗を超える 240526

2024/5/30

人間は、綺麗なだけではそれでお仕舞い。若々しさや皮1枚の美しさだけでなく、人生で何に眼差しを注いできたか、どんな失敗や後悔にさいなまれてきたか、それらが深みのある美しさをまとうために必要な経験である。

花はそれ自体が風雨や日照りに遭い、虫や鳥にも痛めつけられて育ってきたから、みな強くて美しい。虫食いの葉っぱですら美しい。散りかけたり枯れた姿はまた別格に美しい。それを切り花にして人間がいけばなをする。綺麗なだけの人間が綺麗なだけのいけばなをすると、せっかくの花の魅力や価値を減じてしまうから、私はそうでないいけばなをしなくてはならない。

強く美しいとはいえ、花は思いがけなく頼りないはかなさも持っているし、逆に私が翻弄される猛々しさを持っていたりもする。そんな数限りない性格と付き合っていくために、私はもっと積極的に「苦」や「労」を背負わなければならないのだろうか。これまでの経験では足りないのだろうか。

綺麗であることはいけばなとして大事な要素であり、それを超える何かを探すことはいけばなをする人の大事な資質だと思う。

負のいけばな 240525

2024/5/29

中学生のとき、人造石を彫ってオルゴール箱を作った。漠然とトルコ風をイメージして、水色とサーモンピンクで箱を塗った。我ながら良い出来映えが嬉しくて、蓋を開けてはオルゴールを鳴らした。裸でむき出しのオルゴールの小さな機械が、厚みのある秘密めいた箱に収まっているアンバランスな組み合わせが、侵し難く大切に感じられた。私が「蓋物好き」になったのはそれがきっかけだ。以降、香合や文箱などが宝物である。

オルゴール箱からは音が出るし、竜宮城の玉手箱からは煙が出る。しかし、私の持っている香合や文箱のほとんどに中身が入っていない。空であり、無である。私が私淑している松岡正剛さんの言葉を借りればウツロである。

空や無は、充足感に対する不足感やマイナスの財産である負債にも通じる。そして、空や無がゼロであるのに対して、不や負はゼロ以下のマイナスなので空や無よりもウツロ度合いが高い。マイナス空間の入れ物は、蓋を開けたとたんに外から何かを吸引する。

マイナス箱には命が吸い取られるかもしれない。そんな負空間を持つ危ないいけばなをつくってみたい。

引くだけではない引き算 240524

2024/5/29

時代と国を越えて世の中にはいろいろな絵があるから、誰もわざわざ「いろいろな絵があるね」と言わない。でもいけばなに対する世間のイメージが狭いからか、「いろんないけばながあるんだね」と言われる。いけばなのスタイルやレシピが、料理の数ほどあるとは思われていない。

私はよく「引き算」という言葉を使ってきた。この「引き算」にもいろいろあることを言いたい。いけばなでは、使う花の種類を減らす引き算がある。本数を減らす引き算がある。大きさを小さくいける引き算もある。花器を使わないという引き算もあれば、いける時間を短くする引き算もある。。

ところが、だんだんわかってきた。種類を減らしても1種類をたくさん使ってボリュームアップできるし、小さくいけたら周辺空間は大きくなるし、引き算をしたからといって、作品が必ず小さくなるとか貧相になるということではないと同時に、単純に引き算だけをすれば、当然のように痩せっぽちで貧相ないけばなになってしまうということだ。

引くと同時に何かを足す、結局のところデフォルメこそが、いけばなの表現には必要だ。

虫と花 240523

2024/5/29

基本的に防虫剤を使わないので、いけばな教室の庭は生き物の楽園だ。蟻とミミズ、蚊やクモも多い。福岡正信氏の引き算の「自然農法」思想を聞きかじり、「虫に食い尽くされる以上に生長する植生」というビオトープに憧れていた。

だから、いけばなで使い残した枝ものは手当たり次第に挿し木をして、枯れる木もあるけれど、枝垂柳などは大木に育ち過ぎたので数年前に切った。

しかし、毎年のようにサルスベリはうどん粉病にかかるし、常盤万作にはアブラムシの帝国が広がる。桃とクチナシの若葉は青虫に丸裸にされるし、雨上がりにはヒメツルソバの茂みから這い出たナメクジがブロック塀を這い回る。今春はトキワサンザシに、初めて大量の黒い青虫が群がっていた。また、理由不明で50年物のツゲが枯れた。

そんなわけで、今年はついに病気や虫に効くスプレーをピンポイントで吹いて対処し始めた。それでも、ナメクジ駆除は箸でつまんで捨てるという完全無農薬方式だ。20匹も捕まえると割箸の先がぬめってしまうので、ハムシに食われて落ちたキンモクセイの葉で拭いながら黙々と作業する。

講師の事