小さな大事 240619
2024/6/20
物事の優先順位を間違えると、人生の岐路に立たされるような大問題を引き起こす。職業を4回も変えた私には、ほかにもたくさんの岐路があった。優先順位が一番高いものには労力の大半を振り向けるべきだが、思うようには振る舞えなかった。
優先順位が高いはずなのに、それをぞんざいに扱ってしまう典型事例は浮気である。私はそのような典型的な失敗を繰り返してきた。いけばなの先輩に対する敬意においてもだし、家元に対してどれだけ敬意を表せているか心もとない。
そんな大きい事例ばかりではない。花鋏は、いけばなをする者にとって優先順位一番の道具である。それを私はぞんざいに扱ってきたことについても、非常に気分が重い。あらゆるアスリートは、シューズなど自分の道具に細心の注意を払う。そしてまた、アスリートは身体のケアにも余念がない。
私はアスリートのように鋏を大切にしなかったし、自分の腱鞘炎もほったらかしにしてきた。大小に関わらず、大事にすべきものを大事にするという当たり前のことが、すべて結果に表れるという恐ろしさを放置してはならないのであった。
古さと良さ 240618
2024/6/18
錆びる鉄の鋏の方が、錆びないステンレスの鋏よりも愛着が湧くという話の続きだ。
それでは、誰が使ったかわからない錆びた鋏と、祖母が使っていたことがはっきりしている錆びた鋏は、どちらが自分にとって価値が高いかというと後者である。
ところで、私のいけばな教室では現金精算をお願いしており、釣銭のために、より新しい硬貨になるよう日々入れ替えながら貯めている。汚れが沈着した100円玉も、真新しい100円玉も、その100円の価値は同じなのだが、汚い方は94円、綺麗な方は106円くらいの開きが実感としてある。去年のある時、私は手持ちコインを全部洗剤で洗ったくらいだ。私が初めて海外旅行に行った時、現地の紙幣の汚さに辟易したことを思い出す。あまりに汚過ぎて、親指と人さし指とでぶら下げるようにつまんだものである。
欠けた花器をそのまま使うか金継ぎして使うか、趣味の分かれる所だが、私は金継ぎができないという理由から、欠けたまま使うしかない。いま日本の金継ぎが世界的に注目されているようで、私も良いとは思うが、できれば銀の方が好みに合う。
落とし穴 240617
2024/6/17
花鋏を選ぶ基準がわからない。ステンレス製は錆びにくく切れ味がへたれないメリットがあるようだ。で、買った。確かに錆びにくい。確かに切れ味も悪くなりにくく感じる。問題は全くないのだが、問題はこの「問題がない」ということかもしれない。
私のマイカー歴は、友人から5万円で買った三菱ランサーから始まる。2台目が喫茶店で顏なじみの人から20万円で買い受けたトヨタカムリ。次が正規ディーラーで中古のトヨタカローラ50万円。次が吉田町のマツダの販売店から中古のフォードハッチバック45万円。
趣味がカヌー(カヤック)だったこともあり、車の天井にカヌーを載せるし、しかも海カヌーを運ぶと潮水が滴るため、確実に車体が錆びるのだ。トヨタ車は、走行上の問題はなかったが、カヌーを2艇載せて中国自動車道を山口までカローラで往復した際、カヌーが受ける風圧で天井が沈み、前席ドアが押し広げられた。車体を軽くする工夫が強靭さを失わせた。フォードは骨組みが無骨に重いため、ルーフレールを取り付けて物を運ぶには良かった。
車でも鋏でも人でも問題児に愛着が湧く?
私の鋏 240616
2024/6/17
いけばなを24年続けていると、花鋏も何本か溜まった。最初の1本は、祖母が使っていたであろう錆びた鋏で、実家の押入れの奥で見つけた。
2本目はホームセンターで買った。2千円以下の安物を500円で研ぎに出す気になれなくて、ヤスリの棒を買い自己流で研いでいたが、綺麗に研げていない鋏を人目にさらすのが恥ずかしく、それ以降も2年に1度いけばな展があるたびにホームセンターで買い足した。
いちばん古くなった鋏は、庭仕事用に格下げする。時に土を掘って庭木の根っこを切るので、小石を噛んで刃が欠ける。そうすると、2番目に古かった鋏の出番である。
さて、次第に師範の格が上がり、数年前、昇格試験などで家元の目に留まる可能性が出てきた。その頃は土佐打ち刃物のちゃんとした鋏を使うようにはなっていたが、そろそろ草月のロゴ入り鋏を買わなくてはなるまい。
しかし、鋏の手入れが苦手なことをわかっているから、最高の鋏を買うのはまだお預けだ。草月流の「流」(松竹梅の「梅」に相当)の鋏を買った。その鋏で直近2回の昇格試験を受け、その後専門の研ぎ屋に出した。
鋏の価値 240615
2024/6/17
昨日、貴重品は花鋏というところに落ち着いた。しかし、花鋏を自分で鍛造できない以上、お金を出して買うしかない。ということは、大事にしたい花鋏を手元に置くためには、それに先立つお金が必要なのだ。お金は何にでも交換できる。しかも、お金は目減りしない(為替等の影響は度外視する)。
一方、花鋏は同程度の価値のものとも交換しにくい。わらしべ長者のように、価値の高い物と交換するのは困難だ。そんな鋏に貨幣価値はない。貨幣価値のない鋏が、売り払う際に安く値切られるのは仕方ない。でも、カネがすべてというのは悔しい。
千利休や勅使河原蒼風が使った鋏だったら、その価値はどんどん上がり続けるだろうが、私の使い古しの元値6,000円足らずの鋏は、錆が浮けば浮くほど価値が下がっていく。そんな鋏が貴重であるためには、せめて何か世間を唸らせるような物語が必要だ。室町時代の骨董であるとか、火星人にもらったとか。その鋏が純金製だったりしたら、物ではなく貨幣に近い。
そんな訳で、別に取り柄のない花鋏は、使って使って使うことで、使用価値を高めるしかない。