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いけばな随想
diary

いけばなの場 240512

2024/5/13

昨日の茶席にいけられていた芍薬は、直立したその1輪が、部屋の中で最も鮮やかな色彩を放っていた。綺麗だった。ところが、私には物足りなかった。それは、私がいつも花ばかり気にしてしまうせいであって、場を設けた人の部屋全体のしつらえとしては完璧かもしれなかった。

二之丸庭園のその茶室の後背は、城山の緑が萌えたっていて、確かに「山滴って」薫風が立ちこめていた。茶室に重いいけばながあると鬱陶しいかもしれなかった。

掛け軸について、茶会の主はこういう趣旨のことを言った。勝海舟は書家ではなく、むしろ政治家であった人なので、必ずしもこの書が素晴らしいと誰もが賛辞を贈るものではないかもしれないが、勢いがあって「山滴る」というテーマにはふさわしかろうかと思ったと。

もし私がその茶席に芍薬をいけるとしたら……。「いけばなは場にいける」というが、その場をつくり上げたコーディネーター(主人)の意図を解す必要がある。あらゆる催事では、できあがったその場は大事だが、主催者と客人の期待や好みを推測しなければならない。場とはそういうものだと思った。

茶席と花 240511

2024/5/12

伊予売茶流を習っている同級生から、煎茶のお茶席に呼ばれた。彼女の差し金で正客として座らされ、緊張と楽しさの半ばした人生の初体験も味わえた。床には勝海舟の書が掛かり、香が焚かれ、芍薬の花が飾られていた。

中央の香炉の左側に香筒が斜めに置かれたので、スペースの必然として芍薬が右に飾られていた。私は、香筒なるものを道具の1つとして床に飾り置くことを初めて知った。芍薬は、ぴんとまっすぐな1本の茎に、大輪の花が九分咲きで開いていた。花筒は輪島塗である。

私の座った席には、煙草盆が置いてあった。これは、正客の席であることを示してもいるという。この歳にしてまだまだ見聞きしないものも、知らないこともたくさんあると実感した。

茶席はこのように、部屋全体をコーディネートして構えていくのだが、いけばなはどうだろう。花を中心に据えて、部屋のしつらいを全体的にいじるかといえば、そこまではしない。そこにある空間の状態に合わせていけばなをいけ、その空間をより心地よく盛り上げる役割であり、言ってみれば空間の付加価値を高める性質ではないだろうか。

体の使い方 240510

2024/5/11

手習いができていない人が物を作ると、結果が期待できない。それは、料理を考えればすぐわかる。手慣れていない人が初めての料理を作ると、買い出しも、道具立ても、作業順も全部がぎくしゃくしてしまい、キッチンが散らかるばかりだ。勘のいい器用な人はこなせるかもしれないが、それは例外的だ。

手が自由に動かせるようになれば、目で観察することや頭を働かせることに労力を振り向けられる。いけばなをするにおいても、きっと何か鍛えるべきルーティンの動きがあると思う。板前さんが、まな板の前で魚を捌くときの腰の入れ方、包丁を持つ手の引き方を観察してみるといい。それを思うと、私はまだいけばなをするときの体の構えがなっていないようだ。

いけばなは、畳の間で正座してやるものだと思っている人が少なからずいる。松山商業高校の華道部はその通りだ。しかし、私のいけばな教室をはじめ、テーブルを前に立っていける姿勢の方が多くなっている。

体系化されたいけばなの型に対して、いけばなをする体の構え方、使い方はさほど問題にされていないので、少々意識してみたいと思う。

慣れ 240509

2024/5/11

私より6歳下のM.G.さんが病気で逝ってから、もう15年くらい経つだろうか。その1年前に、この歌が一番好きと言って彼女が聴かせてくれたのが、ノラ・ジョーンズの「ドント・ノウ・ホワイ」だった。

2002年のデビューアルバムに収録されたその曲は大ヒットし、その後もノラのアルバムはヒットを放ち続けた。そんなノラが、あるアルバムでスタイルを変えた。それまでのノラはずっとピアノの弾き語りをしてきたのに、そのアルバムではギターを弾いて歌ったのだ。

「慣れたピアノを弾いて歌うと、新しいものが生まれにくい気がしたから、慣れていないギターを弾いて、何か新しいものに出会いたかった」らしい。実際、慣れないギターを弾いてファンを失望させないために、ノラは相当な努力をしたはずだ。

そして、新しいものが生まれた。

昨日と同じことをするのも辛いことはあるだろうが、安心だ。今日と違うことをするのは不安かもしれないけれど、新鮮で楽しい。

慣れは恐い。馴れ馴れしくなったりするのも恐い。初めて会った時のような気持ちで、明日の花と向き合ってみられたらいい。

破調 240508

2024/5/11

1970年代にジェントル・ジャイアントという英国のロック・バンドが、少し活躍した。本国ではどれくらいの人気だったか知らないが、日本ではマニア御用達のバンドで、それを聴いていることを自慢したくても、ほとんど知られていないから話にならなかった。

今は、ダウンロードすれば聴けるが、昔は聴かせたい奴の家へLPレコードを持って行くか、自宅へ呼んで聴かせるしかなかった。互いに手間暇をかけ、リスクを負って友達づきあいをした。

そのバンド・メンバーは、クラシック音楽の演奏や作曲をたしなんでいて、演奏技術に破綻をきたすことが全くなかったかわりに、1曲の中でリズムの切り換えや転調を多用するし、何より特徴的なのが、特にリズムにおいて躓くような部分を挿入しないではいられないという問題児たちだったのである。美しいだけでは済まさないという根性があった。心地よく聴いて寛いでいても、必ずリズムが破調をきたして神経が逆立つというトラップが仕掛けてあるのだった。

そんなのを聴いて育った私だから、いけばなにも、ついつい破調を組み込んでしまうのである。

講師の事