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いけばな随想
diary

創作と準創作 240708

2024/7/8

画家の作業は、その作品で“事件”をつくり出していくような、文字通り創作的作業がある。

ところが、写真家の作業は、事件をつくり出すのではなく、事件を見つけ出す作業だ。もちろんスタジオ撮影では、スタイリストの協力を得てまさにつくり出す作業もあるとは思う。しかし、たいていの場合、写真家の存在如何にかかわらず事件はすでにソコで起こってしまっていることが多い。事件そのものをつくり出してそれを撮影するというのは、極端にいえば放火魔的行為だ。

華道家の立ち位置は、画家と写真家の中間だ。花が開いてしぼむという生長過程には積極的に参画できない点で、事件は華道家の営みに関係なく世界中で起こってしまっている。目の前のヒマワリをもっと大きくすることも、バラの茎をもっと細くすることもできないし、ユリのおしべの花粉をパッと消し去ることもできない。事件そのものには関与できない立場でありながら、事件の関係者であろうと無理に立ち入って、事件を複雑なものに仕立て上げているのだ。

いけばなは、事件の捏造と記録の歪曲という、珍妙な準創作活動であろうか?

写真といけばな 240707

2024/7/8

画家が絵を描くとき、構想の過程でいろいろな言葉を思い浮かべながら、自分のつくるイメージをまとめていく(のだと思っている)。

カメラマンも、ライフワークとしての撮影に取り組んでいるときは、絵描きと同じように、自分が撮るべき写真に対して言語化しながら構想を組み立てていると思う。しかし、初めて会ったモデルを撮影するとき、彼の意識の中にどれだけの言葉が浮かんでいるだろう? たぶん言葉にならない印象を感じ取りつつ、「いいねえ、その表情たまらんねー」と呟きながら直観力でシャッターを切っているのではなかろうか。

いけばなも直観力勝負だ。いけばな展に出す作品の構想には相当の言語的作業を伴うが、日常的ないけばなでは、目の前の花材に対して直感的に手に取ることから始まる。

これは、日々の食材の買い出しに似ているともいえる。晩御飯の献立をどうしようかと思いながらスーパーに行き、牛肉とピーマンを炒めようかと思っていたのに、カツオのタタキの美味しそうなのが目に入って急遽そっちに手を出し、すっかり献立全体が変わってしまうようなライブ感が素敵だ。

変人 240706

2024/7/7

私が誰かに対して「変人!」と言う時、それは褒めている。「変態!」と指さす時は、無上に褒めちぎっている。「変な奴」と言うときは微妙で、時に軽蔑したニュアンスを含む。

私には、ささやかな変身願望がある。小学生の頃、自意識が強くなり赤面症が表れた。中学生で少し治まり、高校で克服したかと思ったら、上京した大学生時代に再び自意識が強まった。大勢の人前に出ると顔に大汗をかくのだ。成人しても治らず、長く苦労した。いろいろな意味で枯れてきたから、今は大丈夫だ。自意識過剰を克服したついでに、今度はもう少し過激な人に変身したい!

変身といっても美容整形には興味がなかった。もし、心の整形という医科があったら、行ってみてもいいが。心療内科や精神科は、私自身が不調を訴えているのではないからお呼びでない。

ここ数か月、いけばなのフィルターを通して日々を暮らしてきたので、標準的人間生活から逸脱していると思わぬでもない。しかし、今さら標準などというありもしない物差しには縛られたくないので、もっともっと過激な変人になることを画策しているのである。

アーチストと職人 240705

2024/7/5

アーチストは常に独創的に、自分をも乗り越えていかねばならない。職人は安定した高品質を顧客に対して生み出し続けなくてはならず、これも大変な宿命だ。

アーチストは、職人と呼ばれたくない人が多い。しかし、キャリアのあるアーチストは、それぞれに職人技と呼べるような独自の技術を持っている。独自性が高いため、万人が使いこなせる技術ではない。独自性でもって新しい価値を生み出すのがアーチストである。

職人は「俺は職人だ」と言いながら、心では「アーチスト」と呼ばれたい人が多い。しかし、親方から相伝した技術を、弟子に伝える使命があって、自分独自の技術にこだわっていては伝承者としての名が廃るのである。既成の価値を伝承するのが職人である。

だから、職人には、あと3つのことが求められる。学ぶ素質、教える技術、教える相手を見つける幸運である。アーチストは気楽でいいかというとそうでもない。孤独を楽しめる素質、強い自己肯定感、購買者を見つける幸運が要る。

いけばなは、アーチストと職人の領域にまたがっているが、軸足の置き方は、人それぞれである。

一 240704

2024/7/5

漢数字の一である。習字を習っていた時、先生から時々この「一」を書かされた。その原島呉峰先生は、私が中学3年の時お亡くなりになり、私は習字をやめた。

先生が使う教本は全部、半紙に自筆かつ自分で蛇腹に製本したもので、表紙は厚紙に包装紙を巻いて仕上げていた。段位(と言っても少年段位)を取った時、白木の表紙の教本と、正月用に虎を描いた半切を軸にしてくださった。掛軸は実家に置いてあったはずなのに、見当たらないのが残念でならない。

字を書くのに、いちばん難しいのが自分の名前だった。自分の名前くらいは上手に書きたいという気持ちが強過ぎて、自分が理想とする人物像に自分の名と字とが追いつかないから納得できないのだった。気分が乗らないそんな時、先生は「一」を書かせるのだ。書こうと思えば書けるのが「一」だし、単純過ぎてどう書いてもうまく書けないのも「一」だ。

いけばなにも「単純化の極」というのがあって、「すべてを含む単純化」という難題である。「つまり、最少の要素で最大のものが表現されていなければなりません」とテキストに記されている。

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