お金と時間 231221
2023/12/21
私の人生のほとんどは、企業と学校で働く時間に充ててきた。そこには既成の働き方や既成の仕事があって、私はそれを少し自分流にアレンジして働くことで給料に換えていた。時間の自由は少なかったが、お金の自由は増えていった。
いま、いけばなを仕事にして、既成の働き方でも既成の仕事でもないので、手探りでお金に換える方法を模索している。20歳代前半も、自由業と呼ばれる範疇で働いていて、日々お金に困りながらも最高に楽しい気分を満喫していた。お金には不自由していたが、時間の自由は十分にあった。
お金に不自由すると心がすさむことがある。心がすさむと、お客様のためにならないことをしたり、仲間や取引先を搾取したりして、お金が増える。お金が増えると心に余裕ができて、お客様のための仕事ができるようになり、仲間や取引先との関係も良くなる。すると、そのお客様にもっと尽くしたい、仲間にも苦労をかけたくないと思い、自分が無理をし始める。無理をするから、時間を失い健康を害する。
働き始めて丸40年。時間とお金のバランスは今でも不安定で、困ったものだ。
意味と意欲 231220
2023/12/20
庭木の剪定をすると、切り落とした多くの枝が山になる。放置しておくと、枯葉が風に吹かれて散乱する。近所迷惑を防ぐ必要もあり、何年かの月日をかけて、片付け方を少しずつ工夫してきた。
現在のところは、まず、1回に1本しか剪定しない。片付けながら観察すると、枝ぶりや成長度合いなど、その木の特徴がよくわかる。そして、切り落として2週間くらい地面に放置し、生乾きにする。すると、葉が乾いて離れやすくなるので、それを落として捨てる。次に、枝だけになったものを見て、形の良さそうな部分を切り残し、あとは短く刻んでゴミ袋に入れる。仕上げは、切り残した枝を自然乾燥させて「枯物」花材として使う。彼らは、結構いい仕事をしてくれる。
このように再利用を前提に剪定すると、ノコギリやハサミを入れる回数が減った。木々の表層を外側からジョキジョキ切り進んでいたのが、いまは、木の中に潜り込み、太い枝にここぞと目星を付けてバサリと切り落とす。
庭木本体のみならず、切って落とす側にも同等に関心を寄せることで、剪定作業の意味が変わって、意欲も高まるのだ。
美の判断基準 231219
2023/12/19
高校3年時、放課後ポヨヨンと歌謡曲を聴いていた私は、後輩のTK氏から「普遍性というのは、歴史を越えて国境を越えて受け入れられる、つまり時空を越えて鍛えられたものこそが普遍性を持っているということなんです!」と詰め寄られ、是非ともクラシックを聴いてくださいと懇願されたのは、私の人生にとって決定的な瞬間だった。
成人して後、「なけなしの自分のお金で絵を買う行為を重ねると、芸術を見る目が格段に鍛えられるんです」と言われながら、彼の家で彼が買った絵の1枚を見せてもらった。縦横斜めに描かれた直線が折れ曲がった先に、宙吊りにされたニワトリがぶら下がっているモノクロ線画だったと記憶している。
「ふーん。それにしても、この曲いいねー」と、その絵よりも彼がかけているBGMに興味を示すと、「わかりますか!」と、やや興奮気味の彼は、Neville BrothersのそのCD「Yellow Moon」を「差し上げます!」と言って、くれた。
私は幸運である。若い時から、自分の美的基準をはっきり示してくれる身近な人がいてくれたのだから。その後、数をこなして自分の基準も見えてきたような気がする。
未来にあるもの 231218
2023/12/18
いけばなは、「そこにあるもの」だけがあるのではない。
いけた本人が「背景の山を借景している」ということであれば、そのいけばな作品の大きさは空間的には直径5kmにだってなり得る。いけばなの空間にはドローイングの絵のような額縁がないから、「そこにないもの(遠い景色)」も、作品の一部として持ってくることができるのだ。
いけばなは、時間的にも表現を拡げていくことができる。
いけばなで使う植物は、人の感覚で感じ取れるくらい速い速度で生長し枯れていくため、私たちが普段使っている意味での「現在」と呼ぶ時間に、もう少し前の過去ともう少し後の未来を含んでいる。実際にも、1本の枝の下の方の花が散り始めている丁度その時に、枝先の方の蕾が膨らみ始めていたりする。つまり、過去に存在していた種子や蕾の面影を残しつつ、未来に存在する枯葉や新しい種子を予感させているのが植物だ。
そんな植物をおもな材料とするいけばなは、やはり「いま」の範疇が広くて、「過去」や「未来」と断絶することなく、「現在」において「未来」を先取りしながら表現できる様式なのだ。
機会と結果 231217
2023/12/16
野球の世界では、打率3割がひとつの目安となっている。3割を超えると、好打者の仲間入りだ。10の素晴らしい機会をもってしても、良い結果は3しか得られない。とすれば、素晴らしい機会を3つしか持っていないとすれば、得られる良い結果はせいぜい1つしかないわけだ。数量の問題では、そういうことになる。
次に質の問題を考えると、どういう高質な結果が得られるかは、どういう高質な機会を持ったかということにかかってくる。これも大事だ。
また、結果を意識する際には時間も大きな問題で、どれだけの時間的遠近を展望するかによって、今この時の取り組み方が変わってくる。いけばな教室を開講するには、半日か1日前に花材を準備しなくてはならない。調理の場合は、部分的に冷蔵や冷凍の食材を仕入れられても、いけばなでは無理がある。だから、最良の花材との出会いは一期一会だ。つぼみの開き具合や葉の弱り具合を見極め、少しでも良い出会い、良い機会にしなくてはならない。
さて、私自身もいけばな講師として、習う人にとって質の良い機会をたくさん提供できているだろうか。