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いけばな随想
diary

文化の土台 240313

2024/3/19

 ずっと前、調理学校の学生たちと、パリのレストラン「ギー・サヴォア」で食べたことがある。当時ミシュラン1つ星で、いまは2つ星だ。
 ギーさんが気さくだったので、「この店で雇われるためには、どんな条件がありますか?」と思い切って質問してみた。シェフが答えた。「まず第一に、正しいフランス語を話せること。第二に、プレーヤーとして料理以外に得意なものを持っていること。第三に、プレーヤーとしてではなく、お客様との話し相手として、得意なジャンルをもっていること」
 私は聞いた。「料理の腕前はどうですか?」シェフが言うには、「この私が教えるんだから、誰だって上手になる。だからはじめは、料理ができなくて構わない」
 鼻高々に言い切ることが嫌らしく聞こえることもあるが、それがとてもカッコ良く聞こえた。料理をすること以上に大切にしているものがあるという前提で、技術としての料理は料理人だから上手にできて当然かな? みたいなノリの文脈だから、嫌らしくない。ことさら真面目に控えめに物を言うことが美徳の日本で、華道も心底分厚い文化を築けるといいな。

人生の目標 240312

2024/3/18

 あなたは何になりたいですか? あなたに人生の目標はありますか? 人生に「点」としての最終的なゴールイメージをもっているか? という質問である。
 人生最後の日の自分の姿は、確実に理想的なものではないだろうし、私が思う人生には、ゴールとしての目標はない。私の人生は、不確定な状況の死に向かって頼りなくも楽しく(苦しさあっての楽しさという意味での苦しさも含めて)日々を送るというプロセスであって、その意味では人生は「線」であり、しかし人生の抑揚(喜怒哀楽などの気持ち、仕事の成功失敗、持ち金の多寡等々)の膨らみを考えれば、人生は動いて変化し続ける「ボリューム」である。
 私は、人生の最後に華道を選んだわけではなく、華道をしながら自分がどう変化していくのかを楽しみにしている。そこに発展的な期待というものはなく、小さな変化を予感するのみだ。
人の成長過程は、日々で観察すると「ほぼ変化なし」なのに、10年単位で振り返ると相当に大きな変化を遂げている。
 大きく変化している時期を成長期と呼ぶのであれば、今こそが成長期であって欲しいと思っている。

通訳 240311

2024/3/18

 通訳の仕事は大変だ。真剣に取り組む人にとって仕事は何でも大変だ。とはいえ、通訳は最も大変な仕事の1つだ。
 それは、仕事の専門性を突き詰めるだけでは不十分だからである。異なる言語の間に入って、両者の意思疎通を実現させるというところは専門性に関わる部分だ。故人となってしまった私の友人は、かつて原子力発電所で同時通訳の仕事をした際に、来る日も来る日も原子力や発電、資源やエネルギー、地球環境や立地市町村への交付金など、ありとあらゆる周辺知識の勉強に励んでいた。何しろ専門用語が多過ぎて、日本人なのに日本語で書かれている資料の意味がわからないのだとこぼしていた。
 私が店舗にいけている花を、店と客をつなぐ媒体として捉えるとき、媒体は通訳ではないけれども、両者の関係をよりよく結びつける役割を担っていると思うし、そう考えて花をいけている。店の業種や業態、店主の人物、主な客層、店主が大事にしたい客層、店主の趣味、客が大事にしている店のグレード感や好み等々、本来であればそれを十分に理解することが求められる。
 いけばなも大変なのだった。

自と他 240310

2024/3/18

 自分のことは自分では気付きにくい。他の教室に行くと、自分の教室では見えないことが見える。
 ある教室は、テーブルが壁に向かってL字型に配置されている。生徒さんは、互いの様子に惑わされることなく、自分の制作に没頭できる空間だ。私の教室は、センターテーブルを挟んで、人と人が顔を突き合わせるように立つ配置だ。すると、互いに互いの振る舞いと作品を見ざるを得なくて、自分自身と向き合う姿勢に乱れが生じやすい。
 とはいえ、合作とか連作の場合は、他人の様子や気配に集中する必要がある。個人制作の場合は自分自身との対話に集中できても、集団で制作する場合は、自分の主張ばかりでもダメだし、主張を全くしないのもダメである。相手を否定せずいい気持ちにさせながら、自分の意見もスルリと通していく技量が求められる。私は、このへんのやり取りが相当に苦手だ。会議においても同様で、自分の出し入れのしかたにはいつも困っている。
 ところで日本の一般的な政治家のように、自分の心に嘘をつきながら他人にも嘘をつき通すような、自分も他人もないがしろにするのは論外だ。

見える景色 240309

2024/3/15

 標高300mの丘から見る景色と、3000mの山から見る景色は違う。同じように、いけばなを登り始めたばかりの目で見るのと、40年も登り続けてきた人の目で見るのとでは、作品の見え方が違ってくる。
 私は、いけばなを始めた頃、自分の作品の出来栄えに自信があった。デザインに携わる身であるという自負心もあった。しかし、どんな競技でも、シロウトだからこそ繰り出せる技がある。経験者であれば、恐ろしくリスキーなあまり躊躇してしまうような技を、よく知らないからこそ平然と繰り出せるのだろう。あのころ私は、まだ若かった。
 その後、キャリアを積んで、見る目が少し成長した。そうすると、キャリアがあって腕もいい人は、一見リスキーなことをちゃんとリスクヘッジした状態で、難しいことをさも簡単そうに行っていることに気付かされるようになった。
 子どもの奔放ないけばなと、大人の奔放に見えるいけばなとの違いがそこにある。大人の作品には無鉄砲さはないかもしれないけれど、必ずしも奔放さを失っているわけではないし、そういう高揚を感じさせてくれる作品が好きだ。

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