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いけばな随想
diary

「場」とは何か 251104

2025/11/4

 読んでいた本に、次の一節があった。「環境に対しては『気をくばる』、他のひとびとに対しては『気をつかう』、そして自己自身については『気にする』というのが、現存在のありかたである……『投げられて、投げかける』この二つの契機は、キルケゴール流にいえば、必然性と可能性の二つの契機に該当するであろう。」(松浪信三郎著『実存主義』)
 なんだ、草月が言うところの「場」とは、そういうことだったかと合点がいった。場に影響を受けながら場に働きかけるということを、息をするように吸ったり吐いたりしながら、花と共に一定の時間を過ごす。これが「場にいける」ということだったのである。
 いけられた花は、その瞬間に環境の一部となる。当然ながら、変化した環境に対して、他のひとびとからの批判(わずかな肯定的な反応も含めて)が起こる。環境を変えた者であるからには、その責任を負う誠実な態度が必要で、いちいち反論していても始まらない(終わりもしない)。自分を正当化したければ、ひとり自宅に飾るべきである。
 そういう意味で、「場」とは人間的な成長の現場である。

体力と精神力 251103

2025/11/4

 体力が落ちると精神力も落ちる、そんな感じの年齢になった。目標に向かって努力していたはずなのに、体が弱るとその目標自体にどんな目的があったのだろうかと、持っていたはずの価値観すらぼんやりとしてくるのだ。
 体力のある若者が1つのポーズとしてニヒリズムを装うのと違って、実質的に心の底から湧き上がってくるものが足りないという“酸欠状態”になる。そうして、とりあえず酒でも飲むかという逃げの姿勢に入り込み、それを悲観するでもなくデカダンスと言うしかないような退廃的な気分に安住する。
 そんな、体力が衰えていることで精神力もないときは、いけばなをしてもうまくいかない。私の先生が、「そんなときは一旦やめておいて、気分がいいときに心機一転取り組まないとだめよ」とおっしゃる。つまり、必ずしも花が気分を良くしてくれるとは限らないわけで、花で行き詰まることもあるのだ。
 今日、高校生花いけバトルがあった。思った通りには上手くいかなかったように見えたが、本人のコメントは「100点です!」やはり体力があると気分は晴れているのだと、羨ましかった。

見るアート、するアート 251102

2025/11/3

 かつてそれらを「芸術」と呼んでいた時代、美術も高尚且つ難解な代物だった。東京芸大に合格するためには、高校の部活動だけでは太刀打ちできず、美術教室に通って石膏像の“木炭デッサン”を毎日やらなければならないとされていた。そんなことも知らずに美術部員になった私が突き詰められるわけがなく、早い時点で降参した。
 かつて「華道」と呼んでいた時代の終わる昭和期、いけばなは大衆化して芸道の道を踏み外すことも多くなった。いくぶん諦めを伴って、華道と呼ぶことが減ってしまったのではないだろうか。
 一方は芸術からアートになり、片方は華道からいけばなになって、互いにその領域を広げ、アートといけばなとが重なるポジションに草月のいけばなはある。それに伴って高尚さや難解さのハードルが低くなり、せっかく大衆の手習いになったのだから、今こそみんな参加すべきだ。
 いけばなは、字面のとおり「いける+はな」である。「みる+はな」ではない。誰でも食べるためには料理をするが、いけばなには煮る・焼くがなくて切るだけなので、より簡単にマスターできるというものだ。

献花祭 251101

2025/11/1

 毎月恒例で、今日も護国神社の「献花祭」が月初に行われた。第969回だったので、もう1000回目が視野に入る。これを担う「愛媛県華道会」は、所属する流派の数が減り、各流派の人数も減少傾向にあることから、継続には不安がある。
 さて、日本人の平均が約84歳で、愛媛県華道会も今年84周年を迎えている。日本の企業の平均寿命は、いくつかのデータを参考にすると約30年だから、華道会は相当長く続いている団体であることがわかる。長く続くためには、権利と義務のバランスだとか、ギブ・アンド・テイクのバランスだとかが大事だろう。パートナーシップで結ばれた両者の関係は、そのバランスが狂った時に別れが訪れる。
 華道会は、献花祭によって護国神社と結び付き、子規記念博物館や松山中央郵便局にも、通年でいけばなを飾らせてもらっている。草月流は、昨年までの十数年間、人員を手配できなくて華道会を脱会していたから、相当のいけこみ機会を失っていたことになる。
 いける機会を得るためには、いける約束を果たし続けなければならない。曜日や時間の帳尻を合わせながら。

花材の調達 251031

2025/10/31

 工業化だの情報化だのグローバル化だの、現代社会は大きな変化を伴ってつくられてきた。これはひとえに生産する側がもたらした環境変化であり、その生産する側からの働きかけによって、消費する側もその恩恵にあずかってきた(翻弄されてきたという感が強い)という認識はある。
 今日のニュースで、唯一営業を継続していた砥部焼の陶石採掘業者が、事情で経営を停止するという爆弾発言を行った。砥部の陶石がなくなると、これ以降愛媛の伝統的産品がどうなってしまうのか!? という衝撃的な事件である。
 いけばなは、昔は自給自足的に身の回りの花木を切り花にしていたと想像するが、現代では生産する側(軸となっているのは生産者よりも流通)に依存しつつ、商品としての花を消費して組み合わせるのが一般的だ。裏山もなければ庭もない人が多いのだから。花の供給がストップすると、もういけばなは成り立たない。
 ひところ、農産物生産者が販売まで行う六次産業化が話題になっていたのとは逆に、いけばなをする人が自ら花木栽培を行う必要性が出てきたということだ。滅びる前に考えなくては。

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