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いけばな随想
diary

道 251011

2025/10/12

 昨晩、むかし勤めていた会社のOB会に行った。定年退職を迎える社員が少ない伸び盛りの会社で、多くが中途で転職していた。同じような境遇の者たちだからと思って半ば安心して出席してみると、私がほぼ最年長だったので肩身が狭くやや緊張したのだった。
 しかし、同じ釜の飯を食った者同士は、転職して別の“山”を登っていたかのように見えて、実はやっぱり同じ山を登り続けていたのだと感じた。就業当時は、意見の相違やスタイルの違いが浮き彫りになることもあったが、振り返ってみれば大した差ではなかった。
 いけばなの“山”も、富士山どころではなく登山道は流派の数以上に無数にあって、しかし、登ろうとしている山は同じかもしれないのである。文明開化から高度成長期までは、いけばなも隆盛期を迎えていたから互いに競争していれば良かった。けれども、今は足の引っ張り合いをしている場合ではない。
 異なる道で同じ山の登頂を目指している良きライバルとして、応援し合うことや時として助け合うことが必要である。問題は村社会の伝統から全然抜け出せない田舎のいけばな界である。

いけばなと生け花 251010

2025/10/10

 ひらかなを平仮名と漢字で書くのは、おかしいと言えばおかしい。ひらがなと濁音を交えて書くのも嫌う人がいる。いけばなは、生け花と書かれることが多く、活け花というのもたまに見かける。いけばなとひらかなで書くのは草月流の習わしである。濁音を交えず「いけはな」と書く方が、日本語の伝統に則っているかもしれないと心の片隅で思う。
 私は25年間、いけばなと書きいけばなと発音してきたので、今さら生け花と書かない。代々の家元がいけばなとの表記を変えずに継承しているのには、きっと理由があるのだと思っている。間違っていたら恥ずかしいので私の解釈を他人にほとんど言わないし、またそれを家元に聞こうとも思っていない。
 ただ、ひらかなで取り組むいけばなと、漢字交じりで取り組む生け花とは、何か本質的に異なるように思う。生け花には凛として背筋の伸びた感があるのに対して、ひらかなのいけばなには、何かボーとした雰囲気がある。「どうだっていいよ、思うようにやってみな。ただ、責任は自分で取れよ」みたいな、遠巻きに見て遊ばせてくれそうな、融通無碍な感じだ。

名実ともに 251009

2025/10/10

 1980年頃、私は頻繁に渋谷を徘徊し、宇田川町の輸入盤レコード店「シスコ」を皮切りに輸入盤レコード店をハシゴした。その足でセンター街のロック喫茶「ナイロン100%」に寄り、ニューウェーブ系の“レコードコンサート”を聴いて帰途に就くというルーティンだった。スティングが在籍したポリスの「ロクサーヌ」も「ナイロン100%」で聴いたオムニバス盤に入っていて、急いでレコード店に駆け戻ってアルバムを買った。
 そして1980年代にはCDが普及し、レコード販売が翳るとともに、輸入盤レコード店だとかレコードコンサートという業態やサービスの実体がなくなって、言葉も消えてしまった。そもそもレコードを回して聴かせて、それをコンサートと呼ぶのはいかがなものか? 当時そんなことは思いもしなかった。
 実体がなくなると、それを表す言葉も消える。言葉が消えてしまうと、それはもう二度と誰にも思い出せなくなり、完全に風化すると塵ほどにも残らない。「名残惜しい」というのは、誰からも忘れられて消えゆくものに対する惜別の言葉だ。いけばなには、残ってほしい。

花の不都合 251008

2025/10/9

 産直市に並ぶ花は、売る専門家ではない生産者が持って来る。売る専門家の花店には、綺麗に手入れされた“よそゆき顏”の花が並ぶ。全国の生産者から東京や大阪の花市場に行き、再びUターンしたり、Jターン、Ⅰターンした花が全国の花店で売られる。
 もちろん地元産の花が地元の花市場を経て、地元の花店に並ぶことも珍しくはないが、聞く限りではその割合がどんどん減っている。愛媛を代表するサクラヒメ(桜色のデルフィニウム)も、春先のものは愛媛産でも秋口のものは北海道産が多い。
 そういう流通が普通になると、地方の生産者は安く買い叩かれても、まとまった量が動く大きい市場に出荷する。そして地元の消費者は、遠く旅してやって来た綺麗で高価な花を買う。「このバラ高いよう!」と訴えると、ケニアやインドから取り寄せるバラはどうか? と、売る方も買う方も渋々折り合いを付けたりするのだ。
 地産地消とか、地方の時代とか、政府は何十年も飽きることなく言ってきたが、日本全体が世界の地方になりつつある現在、いけばなの分野ですら非伝統的な土俵で相撲をとるようになった。

中秋の名月 251007

2025/10/7

 夕べ19時半頃に空を見上げた。飛行機雲が流れる下を飛行機の点滅灯が小さく横切り、雲の上には丸い月が大きく輝いていた。月の右側に明るい星が1つ。調べてみると土星らしい。ちょっと調べればスマホが星図まで示してくれるから便利になった世の中だけれど、ベガかな? アルタイルかな? などと素人が知ったかぶりで推測する楽しみはなくなった。
 小学生の夏休み、厚紙の星座盤と懐中電灯と安物のオペラグラスを持って星空観察教室に何度か通った。校区外の小学校の校庭が会場で、暗い街灯を頼りに弟を連れて行ったと思うが、親が同行していたかどうか思い出せない。次の冬休みくらいまでは、その後もよく星空を見上げていて、それから先は興味を少しずつ失い、星々の名前も今ではすっかり忘れている。
 私の趣味は多い方だったから、趣味でなくなったものも多い。長続きした趣味のいけばなは遂に仕事と化していて、花を見るにも風情ではなく、おこがましい審査員の目で見ることにもなる。「いい趣味をお持ちですね」と軽く言われるくらいが、ほんとうに趣味として楽しめる時期というものか。

講師の事