古い情報も新しい 251215
2025/12/15
新しい情報は、日々周辺からやってくる。しかし、新鮮な情報は、老いた脳では咀嚼しきれず、消化もできず、吸収率も悪い。いけばなについての動画も巷に溢れているが、実はあまり見ていない。27歳の時の「あの人」の教えが、まだ根を張っているからだ。
その憧れの人は、「新聞取るな、テレビ見るな。みんなが見ているものは、みんなに見てもらえばいい。君は、君の心と目が求めるものを追え!」と言われた。私は雷に打たれたように、翌日から実行したのが懐かしい。
あれだけ続けていたはずなのに、専門学校生の進路をあずかるようになって以来、新聞やテレビ、スマホやパソコンに囲まれて過ごしている。しかし、この随想を書き始めてから、外界からの情報よりも、自分の体験や記憶から呼び覚ましてくる情報に対して敏感になった。
その当時に見聞きしたことは、その時点の経験量を基にした浅い理解だったが、いま2倍の年数を経験して記憶総量も増え、その気になって記憶や記録を発掘すると、改めて新しく掘り出せる情報があるとわかった。その情報は、いい意味で発酵していて味わい深い。
名前のこと 251214
2025/12/14
正岡子規の俳句革新運動が継承されてきた文芸誌『ホトトギス』は、夏の訪れを力強く告げる鳥の名称でもある。一方、植物のホトトギスは、開花時期が7~11月頃で、季語としては秋のものだ。植物のホトトギスの花びらの斑点が、鳥のホトトギスの胸の斑紋に似ていたのが、その名の由来らしい。
さて、我が家のホトトギスである。この真夏の日射に負けて、葉が茶色く日焼けしていた。10月以降、緑色の新しい葉が増えてくれて助かった。そして、寒風が吹いた今日もまだ何本か咲いている。こうしてみると、ホトトギスは暑さに弱く寒さには比較的強いということになる。夏が長かったから調子が狂って、やっと秋になったと感じているのかもしれない。
今日のいけばな教室で、「野菜・くだものをいける」のカリキュラムをやった人の作品は、好感度が高かった。うまくいった理由は、ネギとかサトイモという名前に惑わされなかったからだと思う。ネギと言うと、青ネギが湯豆腐の上にいたり、白ネギが鍋の中にいる様子を思い浮かべて、私などは嗅覚と味覚が始動してしまい、まず冷静さを失うのだった。
コメント力 251213
2025/12/14
何事につけても傍観者は口が上手で、現場の当事者は無口で体を動かす。これは、実力というよりも、センスというよりも、資質(才能の質、得意不得意)の違いである。いつの頃からか、テレビのニュース番組にタレントのゲストが登場するようになり、次第にレギュラー化し、今はバラエティ番組顔負けでコメント力を発揮している。
NEWなNEWSはネットニュースの方が早いので、テレビニュースはニュースを深掘りしなければ視聴者の満足が得られない。深掘りできない時は、ゲストのコメント力でエンタテインメント番組に仕上げて視聴率を上げる。
いけばなも、だんだんそのように変化してきた。YouTubeその他で制作動画を上げて、料理番組と同じような段取りで事を運ぶ。喋りも上手な、羨ましい人が大勢いる。
だから、各流派の家元も大変だ。奥の院で鷹揚として座ったり寝たりしていられない。常に前線に立って人一倍動き、誰よりも喋っている。私は、頭の中では口数が多い自信はあるが、人前では構えてしまい、硬くなったり長くなったりするのだ。鼻歌を歌うように、言葉が自然体で出る秘訣はないものか。
二刀流 251212
2025/12/13
プロは1つの物事に腰を据えて取り組むことが、かつての日本社会では期待されていた。他のことに手を出すと、残念だと言われたり不謹慎だとまで言われた。野球界に大谷翔平くんが現れて、頑固な日本人もやっと一芸は多芸に通じることを再認識しただろう。
さて、どんなプロにも、その実力にはピークがある。だから、1つの物事の狭い了見だけで勝負すれば、ピークを過ぎたらお仕舞いだ。だから私も、2つ以上のエンジンを担いで乗り切りたい。1つのピークが過ぎても、別のピークがやってきて、まだ次のピークが控えているという具合。
思うのは、兼業農家の知人たちの力強さである。会社勤めをしている間は分からなかったが、彼らは勤め人をしながら週末農家というスタイルを、時には平日の出勤前後に、長いこと私に悟られずにやりくりしていたことである。いきなり今日から農家です、というわけにはいかないことが、私もささやかに庭仕事をして分かる。
二刀流は、実力の問題というよりはセンスの問題である。二刀流をやる人は自らそれを苦にしないが、やらない人はやる前から苦にしている。
プロとアマ 251211
2025/12/12
特にスポーツ界では、プロとして活躍できる期間が短い。しかし、ホームランを打ったり、ノーヒットノーランを達成したりすると、そのインパクトは自他ともに大きく記憶に残る。活動記録としては、短い時間軸の上に大きな波形が記される。
いけばな界では、プロとして立つ人が少ないだけでなく、立ったとしても、一握りの人を除いて年齢を重ねてからのことになる。だから、プロとして活躍できる期間はやはり短い。
ただ、スポーツ界では、プロを退くとき「ハイ、今日の試合をもって引退します」というようにスパッと終わりを迎えるが、いけばな教授の場合は、人知れずいつの間にか引退しているケースが多い。野球のホームランやノーヒットノーランのようなインパクトは望むべくもなく、活動記録としては、短い時間軸の上に小さな波形が記される。
教室を開いて生徒をとる業態は、現代に生業として成り立たせることは難しい。施設や店舗の装飾や冠婚葬祭での案件を請け負う機会も、コロナ禍を境に一気に減少した。この隙に、そういう場でアマチュアがプロと肩を並べて活躍できる可能性は大きい。