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いけばな随想
diary

いけばなガイド 250606

2025/6/6

 私は資格を持っていないから、報酬をもらって観光ガイドをするわけにはいかない。しかし、知人たちを愛媛に迎えて一緒に泊まり歩いたりするときは、絶対に満足させたいという気持ちで徹底的に下調べをし、行程の組み立てを必死で行う。
 こちらが見せたいものを、相手が見たいものだったと思ってくれるかどうか、私が自分で話すより、誰か他の人に語ってもらう方がいいかどうか、作戦もいろいろ練らなければならない。
 私はいけばなを教える自分の立場はしょうがないとして、教え方に改善の余地があるとしばらく考え続けていた。家元からちゃんと師範のお墨付きを得ていることは自信を持っていいが、問題は教える際のポジション取りである。家元代理という自覚で守備的にいくか、半分くらい自己流の解釈で攻撃的にいくか、はたまた、細部まで忠実に翻訳するようにテキストに準じていくか、細部はある程度流して本質的で大事な部分だけは声を大きくしつこく言い続けるのか。
 ここでふと思い出したのが観光バスのガイドだった。教える意識を抑えて、いけばな界隈のガイドをすれば事足りるのだと。

大人の風格 250605

2025/6/5

 私の母方の祖母は明治生まれで、女子師範学校を出て10歳代で尋常小学校の先生になったという。私が尊敬するいけばなの州村衛香先生は昭和18年生まれで、やはり20歳を迎える前に人に教え始めていたと聞く。
 現在では、教育課程で必要な単位を取って採用試験を通った者が「先生」と呼ばれて学校に赴任するし、私がいけばなを人に教え始めたのは20歳代どころか47歳だった。そして思うのは、先生と呼ばれる昔の人には若い時分から風格があったなあ、ということだ。
 よく聞くのが、戦争を経験した世代は強いという感想である。私はそれだけだとは思わない。昔と今の一番大きな違いは、前例のないことをやらざるをえなかったか、前例に倣ってやるのが常道かの違いだと思う。勅使河原蒼風も凄かった。前例を凌駕する圧倒的な力を感じる。
 そういう先人たちに共通するのは、他人と自分を見比べて世界一や世界唯一を狙うのではなく、他人のことは外に置いといて、自分自身の能力の限りを尽くして私がやらねば誰がやる? という自覚で、それが王や女王の風格を身にまとわせているのだと思う。

華がある花 250604

2025/6/4

 昨日、長嶋茂雄さんが亡くなられた。ミスタープロ野球と呼ばれた偉大なプレーヤーは、監督になっても「メークドラマ」にこだわり、最後まで華があった。三振の仕方にも、脳梗塞のリハビリの姿にさえ華があった。
 比ぶべくもないが、私のいけばなに花はあるけど華がないと言われるのは悔しい。ただ、華道で華の表現が難しいのは、表面的な意味の裏側に侘び寂びを忍ばせたいからだ。趣味のいけばなと割り切れば、一方向的に侘び寂びを表現していて構わない。しかしプロの表現をする際には、侘び寂びが表現の柱だったとしても、作品には華(色気とか、エンターテインメント性と呼ぶような何か)が感じられるべきではないか。
 それは、単に豪華さや派手さではなく、見た人に特別な印象を残すというミッションに応えることである。
 私が今日、子規記念博物館の玄関いけばなで目指したのは、次のようなこと。①俳句のように、仰々しさを排す。②侘び寂びに通じる抑制を感じさせる。③ホテルのドアマンのように礼儀正しく、親しみを込めてお客様を出迎える。そんな感じに見ていただけたらいいのだが。

施設の迎え花 250603

2025/6/3

 明朝、子規記念博物館の玄関に花をいけさせていただく。俳句は言葉を選び抜いて作られる短詩なので、いけばなもそのように最小限で取り組むべきかと考えたりして、ついつい身構える。花器も格調とシンプルさとが融合したものをと思い、笹山工房さんで買い求めた四角い蒼っぽい花器で臨むことに決めた。
 今日は、その花器にいける花材を探しに行った。結局のところ小心者の私は、いわゆる和風にまとめるべきだろうかとか、子規の俳句からインスピレーションを得るべきだろうかとか、まるで一夜漬けで入試に向かう高校生の気分で悪あがきをしているのだった。
 少なくとも俳句に興味のあるお客様が来られる施設である。あるいは俳人正岡子規に関心のある方が来られる。そういう方々をお迎えするのに、季節感が全くないようでは困る。安っぽいと思われるのも不甲斐ない。そして、派手派手しいのもイヤらしい。子規記念博物館の受付や切符売場は2階にあるので、1階の玄関でお出迎えするのは私のいけばなだけである。ほら、責任重大ではないですか? どういうコミュニケーションを狙いましょうか。

天才のセンス 250602

2025/6/3

 教科書通りではダメ。これを習い始めの人に言うと混乱を招くので、どれくらい稽古が進んだ時点でそれを言うかは繊細な問題だ。
 特にスポーツ分野には、それにふさわしい身体的素質を持った少年少女がいる。そういう存在を目の当たりにすると、天才じゃん! と驚かされる。誰にコツを教わったわけでもないのに、競技をしている姿が実に美しく無駄がない。音楽分野もセンスの良さがよくわかる。なぜだろう、素人の私が聴いても涙が出ることがある。
 学芸においても、天才型の子どもに先生が自分の基準で誘導するような教え方をすると、小ぢんまりと優等生になるかもしれないが天才として開花しない。ただ大多数が凡人なので、普通はまず型を教えることが習う本人にとっても効果的だと思う。昔から「序破急」と言われるように、はじめのうちこそ急いではならないのだ。じっくりと熟成させる稽古によってセンスは徐々に磨かれ、後天的に天才に近付く。
 いけばな界にも天才がいた。勅使河原蒼風である。天才はふつう一代限りなのだが、彼は流派を継承させて今日につないだ点で経営的にも天才だった。

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