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いけばな随想
diary

庭仕事 231216

2023/12/16

 昨日は1週間ぶりに庭仕事をした。ムクゲとアメリカハゼの高枝を落とし、ヤマゴボウの育ち過ぎたのを根元から切った。向かいの家の2匹の猫も「ああ、久しぶりだね」という感じで、恐る恐る作業の様子を見に来てくれた。
 夏が過ぎて涼しくなったら剪定しようと思っていたのに、なかなか涼しくならず、昨日も摂氏22度を示したくらい涼しくなかった。そんなだから剪定作業は思うようにはかどらず、あと2本、大きな木の剪定が残っている。
 さて、庭仕事である。仕事なのに、仕事でない。
 向かいの家の奥さんが、庭のソケイの切り枝を携えて、猫の様子を見に出てきた。ガラス瓶の中で、切り枝の節から、白くて繊細な5cmくらいの数本の根が生えていた。それを数日間見守って、私が来るのを待っていてくれたのだ。「植えてみる?」と言うのを断る理由もなく、アメリカハゼの根元に植えることにした。これから寒くなるのに、ちゃんと根付いてくれるかな? 何より、向かいの奥さんも、猫の様子を見に来る振りをして、この苗木の状態も見に来るだろう。気を抜けない。
 仕事でない仕事が、また増えた。

花器 231215

2023/12/15

 買ってしまった。また、花器を買ってしまった。
 もともと私は「器」が好きで、香合や文箱などの蓋物を見ると眼が泳ぎ、いつの間にか財布の蓋を開けているという暗示にかかるのだった。
 だから、花器も、水盤のように口が大きく開いて隠し事が何もない器より、口をすぼめて中の様子が見えない器が好きだ。
 器はもともと空っぽで、何かが入るために作られている。水盤には申し訳ないが、明け透けな大きな口では、入ったものがすぐに出て行ってしまいかねない。口をすぼめた花器の場合、入るためには相当な努力が必要なので、そんじょそこらのいい加減な奴はさっさと諦めて入ってこない。かといって、入った場所に執着するでもなく、出るのは簡単で、神様も1年に1度しか神輿に帰って来ては下さらないのに、数日で出て行ってしまわれる。
 しかし、水盤には応用力がある。足を広げた花もいけられるし、足元を絞った花もいけられる。口の小さい花器の場合、足元を広げると、花材が花器の外に出てしまう。すると、大小の関係でみると、花器に花をいけるというより、花に花器をいけることになる。

自己証明 231214

2023/12/14

 現役で働いていたとき、目的や目標の設定が大事で、それを達成するための計画を立て、目標対比と昨年対比で良否を評価してきた。私のいけばなには、売上目標や事業計画がないので、その意味では生業と言えない。
 しかし、仕事はいけばなだと公言していながら収益を出していないならば、何のためにやっているのだろうか? 退職して拠り所をなくした人間の、代替的な自己証明でしかないのだろうか?
 さて、収入額で、自分の存在価値を計れる人は幸せだ。名刺や年賀状の数、SNSのフォロワー数で、存在証明している人も幸せだ。得票数と既得権の保全・拡大に憂き身をやつし、国民の幸福を食べて生きている政治家は、とてもお幸せだ。
 私は、それよりも、生きていることの目的が、結局人生を通してはっきりしないことについて考えている。目的がないことこそが、個人が生きているということの意義かとも思う。様々なバリエーションで生きている人間が無限にいたおかげで、人類の命がつながってきた。
 今日もいけばなの日だったかも、とつぶやきながら酒をただ呑むだけでいいような気がしている。

人智を超える 231213

2023/12/13

 私は、1986年から2005年まで株式会社エス・ピー・シーに勤務して、そのほとんどをマーケティングに関連する業務に従事していた。
 もちろん「お客様のため」意識は持っていたつもりだ。だが、冷静に思い返すと、私の方法は、必ず自ら仮説を立て、その仮説が正しいと示すような数値や情報を集めてお客様を説得するスタイルだった。そして、問題なのは、その仮説が私自身のこだわりを軸にしていたことだ。出発点に歪みがあると、マーケティング調査は恣意的になってしまう。ごめんなさい、お客様の皆様。
 お客様が私以上に強いこだわりを持っていた場合、私があまり折れないために、両者の間に溝ができる。困ったのは、雇い主であるわが社の社長や上司もだし、部下も大いに困ったに違いない。ごめんなさい、仲間の皆様。
 いけばなをしてみるとよくわかる。私のタイプは、花材の観察がおろそかで、自我が先に立つ。
 別のタイプの人は、目の前の花材をよく見てよく触るし、匂いも嗅ぐ。そういう人が花をいけると、当然ながら私が思いもよらない素敵ないけばなができる。人智を超えて現れる。

京都七条 231212

2023/12/13

 草月の昇格試験の事前講習で、きのう京都の「草月WEST」に来た。前泊なので暇だから、小雨そぼ降る中を傘をさして足が痛くなるほど散歩した。
 ホテルエミオン京都を出ると、その通りは七条で、向かい側を西に向かってアーケードの商店街が続いていた。遠目に古道具屋かと思った店は、真向いまで行ってよく見ると、歩道にはみ出した煤けた小屋が舞台の大道具のようで、その奥の本来の店舗には卵が積んであるようだ。
 店名のわからない店先の小屋には、「かしわ」「だしまき」という2枚の看板が照らされている。「かしわ」の方は、木材を切り抜いた生成りの箱文字仕上げで、「だしまき」は黒い地に黄色文字だ。だしまき用の四角いフライパンが4つ5つ並んだ向こうに、お爺さんとお婆さんが少し離れて静かに座っている。その風景を写真に撮りたかったけれど、いや、それ以上に「かしわ」と「だしまき」を買ってみたかったけれど、翌日の受講こそが本来の目的だったことを無理やり自分に言い聞かせてその場を離れ、それから悶々と七条の通りを西へ西へと歩き続けたのだった。
 今度、また来る。

講師の事