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いけばな随想
diary

床の間の花 250121

2025/1/21

 ホテルの夜は暗い。諸外国のホテルと日本の一般的なビジネスホテルとの違いは、部屋も廊下もエレベーターホールも暗いことだ。照明は間接的なものが多く、照度も低いため、屋内空間の至る所に暗い陰がある。スリランカの英国統治時代のホテルのバーは極端に暗く、バーテンダーの顏さえよく見えなかった。「何でこんなに暗いの?」と聞くと、「夜だから」。
 第二次世界大戦後、日本の家は明るくなったと言われる。明るい居宅が平和と幸せの象徴となった。そして、屋内には薄暗い片隅のない、のっぺらぼうの家が建てられた。無意味な空間、機能的でない空間が余っているからこそ、花をいける余地もあったというのに。
 伝統的な日本家屋には、床の間が神棚や仏壇と共にある。神棚や仏壇は、神様仏様に祈り敬う空間として一定の機能性があるが、床の間は、昔は殿様や家長が座る家の中心だったものの現在は機能性の低い象徴的な空間になっている。使われない飾り棚とでもいうところ。
 そんな床の間に、家長の代わりに主役で花に座ってもらうと、姿が見えなくても家じゅうの背筋が伸びるようである。

季節を忘れて 250120

2025/1/20

 四季の移ろいが、人々の生活文化や芸道を支えてきたような日本なのに、なんてこった! とても暖かい大寒だった。
 昨秋から暑い日々が続いたかと思えば、急激に寒波がやってきたりして、いけばなで使う花材も例年通りのものは手に入らなかった。特に、南天や葉牡丹、蝋梅などが、年末になっても例年価格ではなかなか見当たらなかった。着る服も食べる物も、品薄だったり価格高騰が大きかった。
 既に私の身の回りでは、かつての季節感はほとんど失われ、亜熱帯のような別の季節感が漂ってきている。「移ろい」という生易しいものではなく、切り替わりというような段差的な季節変化である。こうなると、季節を少し先取りするというような風流なことはできない。花木の方に、次の季節を迎える準備ができていないからである。食材も同様なので、人間の体も次の季節に馴染むだけの準備が不足して、大きい変化を被れば当然体調不良を招く。
 そういう気候変化と、また、国際化や物流の進展によって、お金さえ積めば欲しい花はいつでも手に入る。愛媛産の「さくらひめ」も、秋には北国産を入手できる。

真似まね 250119

2025/1/20

 何を真似るか、誰を真似るか、それによって一生が決まると言っても過言ではない。人生は、どうせゼロからの創造はできないから、母を真似て、父に反発し、長兄を真似て、先輩を真似て、上司に反発しながら、人生が充実していく。
 たとえば、仕事上で先輩を真似る場合、最初の内は先輩の行動の意味が全部はわからない。何であんなにペコペコ卑屈なくらい頭を下げるんだろうと、何であんなに心にもなく作り笑いするんだろうと。しかし、先輩本人からすれば、後輩に説明できる十分な論理は持ち合わせていない。理屈よりもむしろ、そのビジネスにおける“土俵”の伝統や慣例、期待されるマナーがあるのだ。だから、先輩を真似ると、意味は分からずとも、自然に業界のルールやマナーが身に付く。その良し悪しは別として。
 特にいけばなのような習い事は、教える側に信頼されるための努力が必要で、これはビジネスライクに醸成できる類のものではなく、宣教師のようなストイックさを持ち合わせなければならないようだ。
 試行錯誤しつつ真善美を追い求め続けることが、真似られる側の責任なのだろう。

匂わせる 250118

2025/1/20

 日本的な文化は、伝統的に「隠す」文化だった。今のように何もかもオープンに見せるのは、果たしていいことだろうか。昨日はだれだれに会った、今日はどこどこへ行った、さっきはなになにを食べた……。SNSで見せなくても、みんな素敵にそれぞれの1日を暮らしている。
 40年前から情報化がどんどん進み、情報の質よりも量が競われるようになった。媒体として、まずテレビ、次いでパソコン。1日24時間で接することができる情報というのは、人間の五感を総動員してもたかが知れている。それでも、いかに自分がたくさんのことを知っているかを誇らしく垣間見せたかった。
 10年くらい前から、たくさん知っているだけでなく、誰よりも素敵な体験をしていることを晴れがましく伝えたくなった。
 世阿弥の『風姿花伝』の「秘すれば花なり……」という一節は、芸道全般の奥義だと思う。また、芸道だけでなく、日常生活においても同じだと思いたい。人前で物を食べる行為は恥ずかしいことであるという教えは、人前で物を食べるなという禁止ではなく、品性を保って遠慮がちにせよということだ。

前景と背景 250117

2025/1/18

 今日、高畠華宵大正ロマン館のエントランスに、花をいけた。エントランスまでのアプローチが10メートル、途中にテーブル状の大きい庭石や砂利空間、屋外用テーブルなどがあって、どこにいけばなを置くか迷った。ちなみに、美術館や博物館では、生花をいけることによって、万一、収蔵物が虫や花粉の悪影響を被らないため、いけばなを屋内に入れないことになっている。
 さて、最終的に屋根の出っ張りがあるエントランスを選んだのは、この美術館が山裾の寒い立地なので、直接的な冷気で花が傷めつけられないようにという思いである。しかし、エントランスには、美術館の掲示物や傘立てがあるし、広い透明ガラスの壁にいけばなの背面も映り込むし、美術館内部の景色も丸見えというデメリットも大きい。
 また、アプローチから入ってくる客に対して、エントランスは45度の角度があるので、いけばなの正面をどちらに向けるかというのも問題だった。結局エントランスに対して正面を向けた。
 いずれにしても、いけばなは単体で完結するものでなく、前景や背景との複合的な空間がいけばなである。

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