白雲 231115
2023/11/15
草月流の初代家元=勅使河原蒼風先生の書に、『白雲』がある。直筆の色紙を仲間がネットオークションで落札して、以前プレゼントしてくれた。改めて、お礼を申し上げたい。
夏目漱石の『草枕(ワイド版 岩波文庫)』の巻末解説中に、(ある便りに)「夏は閑静で綺麗な田舎へ行って御馳走をたべて白雲を見て本をよんでいたい」という(漱石の)想いがしたためられていたことが記されている。
このときの漱石の白雲と、蒼風先生の白雲とは、私の印象では全く対照的だ。片方は、世間の利害関係や喧騒からできるだけ遠く距離を置いた穏やかな白雲。もう一方は、社会の有象無象にまみれながら、そこに大空を押し広げて自らが湧き立たせる力強い白雲。
私は、今春退職するにあたって、漱石の白雲を眺めたい心地だった。いまも、どちらかというとそうだ。しかし、少しだけ、蒼風先生の白雲にあやかりたい気持ちもある。遠い白雲を追い求めて一度どこかへ行ってしまうと、もう二度と日常の愛すべき混乱に戻って来られないかもしれない不安がぬぐい切れないからだ。
……かといって、面倒も嫌だけれど。
草枕 231114
2023/11/14
夏目漱石の『草枕』に、「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」という記述がある。
ああ、まさにその通りだわいと思う。いまの日本の高校教育は、個性を伸ばすことが大事だ大事だと謳いながら、小中学校で特別個性的でなく育成された生徒を一蓮托生、君は文系だ理系だと枠に嵌め、偏差値によって君は就職するか専門学校進学で十分ですと手放して、お仕舞い。
私のいけばなの生徒さんで、文科省予算で合衆国に2年間学んだ学生がいて、彼が帰国報告にいけばな教室を訪れてくれたとき、居合わせた生徒さんに対して毛筆でこう書いた。「いけばな≧English」。相手の関心を引く話題や経験を持ち合わせているほうが、コミュニケーションツールの英語力を持ち合わせている以上に強かったというメッセージ。
国際交流を促進させるためには、日本人としての個性と、個々人の個性を際立たせることが有効で、彼流に書くと「international≧global」。国際間の「際」こそが大事で、グローバルに一括りにすべきではないと思う次第。
ブロック塀 231113
2023/11/13
私の教室の老朽化した塀を造り替えるとき、コンクリートブロック7段積みを5段にしました。生垣にする選択肢もありましたが、落葉が道路に散乱する光景を恐れました。しかし、7段積みだと内外が完全に遮られてしまうと考え、視界が開ける高さに抑えたのです。
いま、いけばなに現(うつつ)を抜かす身になると、今度はブロックの工業製品っぽい質感が気になり始めました。フランスにだって、アメリカにだってブロック塀はありますが、なぜか日本のブロック塀のダサい感じが気になるのです。それは、日本の職人さんの仕上げがきちんとし過ぎる点にもあると思います。仕上げに隙がありません。写真で見る限り、ヨーロッパのブロック塀の造りはいい加減で、内と外をつなぐヌケ感があります。
日本人の弱味は、きちんとし過ぎることにあります。曖昧さを好んだ日本人が、今は欧米人以上に白黒はっきりさせたい人種になりました。ブロック塀はその象徴です。縁側もなくして、曖昧な空間を住居から排除しました。いけばなは、空間を侵食する、やっかいで強く、それでいて柔らかい存在です。
トライ&エラー 231112
2023/11/13
先日の海でのインスタレーションは、「竹を繋ぐ技術」の点で、かれこれ5~6度目の失敗の機会となりました。
竹にワイヤーを通す穴と竹の節との位置関係、その穴の大きさとワイヤーの太さの関係、繋ぐ2本の竹の距離関係……竹を繋ぐためには、様々な関係を解決する必要があります。ふとした機会に、針金は2つ折りにして2本1組のようにして使うと、時間は半分、強度は2倍になるよと先輩から指摘を受けたりもします。
また、作業の際に使う道具も、普通のペンチがいいかラジオペンチの方が使いやすいか、いやいや、ワイヤーを切るにはやはりニッパーがいるとか、作業手袋は左手の一方だけにはめる方が作業性がいいとか、いろいろなことを試しながら作業を進めていきます。
しかし、海の力にワイヤーは負けました。次回はロープでやってみよう。硬い針金より柔らかいロープの方が波の力を吸収しそうだ。漁師さんも針金使ってないもん……というふうに、トライ&エラーが少しずつ知恵をつけ、見方を変えていきます。
たった5~6回では足りません。無限のトライ&エラーが華道の道です。
非生産的な楽しみ 231111
2023/11/11
文明と文化の関係は、生産と消費の関係だとしたうえで、私自身はもっぱら消費が上手なので「文化人」なのだと決め付けています。
さて、今日は、生産性と非生産性の関係を考えてみました。
友人の会社の名前は「michikusa(道草)」です。「道草を食う」というのは、いらんことして時間を浪費する意味なので、その友人はあまり儲けないと宣言していることになります。
私は小学校低学年の頃、友達と川沿いの道を下校していました。落葉などを川に投げ込んでは、それが水面に出っ張った石などに引っ掛かったら棒切れでつつくという道草を食っていたので、帰宅はいつも遅くなりました。ある日、ピンポン玉を投げ込むと、何にも引っ掛からず、すいすい流れて行きます。それを追っ掛け、自分の家も通り過ぎ、どんどん川筋を下って遠くまで行きました。夜が更けてしまい、友達と一緒に親達に叱られた思い出は、今も勲章みたいに輝いています。
もし、いけばなが生産性の高いものだったら、私はこんなに没頭していないと思います。お金も悪くはないけれど、目的は暮らしを楽しむことにしたいです。