健康な花 240821
2024/8/21
暗い花の反対は、明るい花。不健康な花の反対は、健康な花。一般的に好まれるのは明るく健康な花で、就職活動に向かう学生にも、明るく健康な表情や見かけを整えるよう指導される。先日、フランスの俳優アラン・ドロンが亡くなった。彼の魅力は美男子であり且つ憂いや狂気を秘めていたことで、完全無欠の絵に描いたような好男子でしかなかったならば、あれだけの人気を博すことはなかっただろう。
葉っぱを齧られた庭木を、不完全だということもできれば、虫が食べたいと思ったくらい健康な花だと見ることもできる。農薬等に守られて健康そうに見える切り花を、ほんとうに健康だと言い切れるかという隠れた問題もある。
さて、松山市内には、フィットネス施設がどんどん増えているように感じる。美容と健康志向が進行している証拠だろう。これは、不健康でない自分を保つための節制行動なのか、より健康的に見せたい欲求のための消費行動なのか?
精神的健康を志向する人ならばこそ、不健康で暗い美術やいけばなを、感性的なワクチンとして定期的に注入することが有効だと思うがどうだろう。
暗い花 240820
2024/8/20
我々の暮らしの様子を眺めると、何か価値あるものをつくり出すことが称賛され、その価値の高さを証明するエビデンス! が極端に求められるようになっている。食品も、漠然とした美味しさよりも、明確な機能性の優先度が高い。芸術についても、著名なプロか無名のアマチュアかに二分されたり、情報発信量の多さによって評価が得やすい。個人の家にひっそりといけるいけばなと、衆目を集めるデパートのエントランスを彩るいけばなとの間にも、偏った見方や評価が下される。
いけばなに侘び寂びの精神があったというのは、昔日の話になってしまったのだろうか。多様性を良しとするポーズとは裏腹で、いけばな展においても、侘び寂びに向かう表現をすることに私は怖れを感じる。
いけばなは、それにふさわしい場にいけるか、場に合わせていけるか、どちらにせよ場を無視できなくて、展覧会の場もその捉え方が鍵となる。一般的な意味での装飾性の低いいけばな、不健康で暗いいけばなは、あえて展覧会に出すことが不適切なのかどうか、自信がないままに出すか、それを避けるか、私は逃げ腰になる。
ノイズ・ミュージック 240819
2024/8/19
1980年代後半、ラフォーレ原宿・松山に提案して、「ラフォーレ・アートパフォーマンス」というアート・イベントを行った。落葉をかき集めて作られた2人掛ソファは、展示翌日に大量の生きた芋虫を吐き出すなど、幅広く意表を突くような作品もあって面白かったし、アートって何? というのを再認識する機会を得た点で、自分にとってありがたかった。しかし、ファッション産業の旗手を自認していたラフォーレの意向にそぐわなかったためか、3年後に大広という広告代理店に仕事を持っていかれた。
当時、学生の時から付き合いのあった友人がノイズ・ミュージックにはまっていて、楽器演奏以外の生活音を拾い集めてハイブリッド編集し、デモテープを海外のラジオ局などに送っていた。少し飽きたのか、数年後にはその話題は彼から消えた。
人は他人と異なる表現を目論むとき、とんでもない材料を使いたいけれど、結局は現実的な落とし処を見つけて妥協する。
私のいけばなも、構想段階ではものすごい作品が空想されるが、その思いが一旦舞い上がった後、面白くない沈降曲線を描いて軟着陸する。
わからないから続けられる 240818
2024/8/18
いけばなをやっている。どこまで知っていて、どれだけわかっているかはわからない。わかろうとしてはいるけれど、わかっていないことが多いことはわかっている。
いろいろな画家の絵を見ても、「わかった!」と膝を打つようなことはない。はじめからわかろうと思っていないから、わかることが大事ではない。この場合は何かを感じたいと思っているので、何も感じられないと損をした気分になる。
猫を飼っている。いろいろわかってやりたいとは思っているが、つぶさにわかるはずがないという諦めが元にあるので、あまりわからなくても気にならない。しかし、トイレ以外で頻繁に“大きなほう”をしてくれるので、そこは逆にわかってくれよと歎願したいところだ。人は猫ではないから、互いにわかるはずだという前提に立ってしまう。ところがどっこい、わかり合えるという奇蹟はめったにない。やはりそうなのだ、人間同士ですらわからないのに、他のことがよくわかるなんてことはないのだ。
どの道の人でも生涯学び続ける。偉そうに言ったところで五十歩百歩だということがわかれば、しめたものだ。
夢のいけばな 240817
2024/8/17
1昨年のいけばな展は、屋外会場だった。大きいいけばなを制作しても園内の木の1本にも敵わないと直感して、私は背景の立木を取り込んだ作品をつくった。借景というよりも、その1本の大木と一体化させた作品だ。持ち込んだ材料でつくった部分は高さ2m幅3m奥行き4mくらいで、完成した一体化作品は高さ6m幅8m奥行き8mにまで拡がった。
昨年は個人的な遊びで、2mの竹を108本繋いで筏を海面に流すインスタレーションに挑戦した。筏部分も全長2mで竹と竹の繋ぎ部分が10cmなので、総延長228.8mの作品になるはずだった。途中まで海に繰り出した時、波の力で作品はあえなく引きちぎられ、漂流物となった(海の藻屑は、満潮を利用して後でちゃんと回収した)。
できれば次は、瀬戸内海と同じ大きさの作品をつくりたい。しかし、残念なことに、ドローンを飛ばすことができたとしても、その全体像を眺めることはできない。そうすると、人工衛星画像を見るか、ミニチュア模型をつくってそれを眺めて想像するしかない。どちらも潮風を体感できない点で偽物でしかないが。