直感 231117
2023/11/17
経験で積み重ねてきたものがある。
自分の嗜好は最たるもので、だいたい嫌いなものは嫌いで、たいてい好きなものは好き。これで、まず間違いない。だから、「直感で選ぶ」というとき、それは賭けではなく、経験に基づいたとても当たりはずれのない選択方法だ。他人に根拠を説明しにくいけれど。
お稽古の花材を選ぶ時もそうだ。あらかじめ、生徒さん本人とカリキュラムとを掛け合わせたイメージを持って花屋さんに行く。で、お店では直感で買い求める。「秋だから、実のある花材を!」と思って出かけても、生徒さんの顔を思い浮かべて、実のない珊瑚水木に手を出してしまったりすることは多い。
そして、それが結局功を奏したりするのは、生徒さんの個性を少しずつ理解し、生徒さんの日頃の作風の傾向が見えてきているからだと、ちょっと言い訳したい。
あれこれ考えていても、現場ではその通りにはならないことが多い。だから、日頃から知識や考え方の引き出しをたくさん作っておきたい。私は昔から意識して、綺麗なものと汚いものなど、相反するものを理解しようと努めてきたつもりだ。
姿勢を正す 231116
2023/11/16
お気に入りの床屋さんが高齢のため廃業して看板も下ろし、「どうしても」という客の髪だけ切っている。非営業なのに、そこのオヤジさんも奥さんも人を迎え入れる時は必ず黒と白の決まった服装を身に着け、二人とも背筋がピンと伸びている。空気感に気持ちよい緊張があって居心地がよい。
そのオヤジさんが怪我をして、当分鋏を持てないとのことで、私は散髪するために床屋を探す。住んでいるエリアを改めて歩き、4軒の候補が挙がった。
そして一昨日、思い切って第一候補の店のドアを開けた。
そこのご主人は私より高齢だったが、私より姿勢がよく、あのオヤジさん以上に身だしなみが完璧だ。“髪結いの亭主”としてフランス映画に出そうなくらいダンディだ。身のこなしも隙がなく、贅沢で素敵なショットバーで過ごしているような錯覚に陥った。いけばなの生徒さんに、オーセンティック・バーのオーナーバーテンダーとイタリアンのシェフがいて、この床屋さんとイメージがぴったり重なるのだった。
教室を開く者として、何より構えが大事だと気付かされ、昨日から少し背筋が伸び始めている。
白雲 231115
2023/11/15
草月流の初代家元=勅使河原蒼風先生の書に、『白雲』がある。直筆の色紙を仲間がネットオークションで落札して、以前プレゼントしてくれた。改めて、お礼を申し上げたい。
夏目漱石の『草枕(ワイド版 岩波文庫)』の巻末解説中に、(ある便りに)「夏は閑静で綺麗な田舎へ行って御馳走をたべて白雲を見て本をよんでいたい」という(漱石の)想いがしたためられていたことが記されている。
このときの漱石の白雲と、蒼風先生の白雲とは、私の印象では全く対照的だ。片方は、世間の利害関係や喧騒からできるだけ遠く距離を置いた穏やかな白雲。もう一方は、社会の有象無象にまみれながら、そこに大空を押し広げて自らが湧き立たせる力強い白雲。
私は、今春退職するにあたって、漱石の白雲を眺めたい心地だった。いまも、どちらかというとそうだ。しかし、少しだけ、蒼風先生の白雲にあやかりたい気持ちもある。遠い白雲を追い求めて一度どこかへ行ってしまうと、もう二度と日常の愛すべき混乱に戻って来られないかもしれない不安がぬぐい切れないからだ。
……かといって、面倒も嫌だけれど。
草枕 231114
2023/11/14
夏目漱石の『草枕』に、「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」という記述がある。
ああ、まさにその通りだわいと思う。いまの日本の高校教育は、個性を伸ばすことが大事だ大事だと謳いながら、小中学校で特別個性的でなく育成された生徒を一蓮托生、君は文系だ理系だと枠に嵌め、偏差値によって君は就職するか専門学校進学で十分ですと手放して、お仕舞い。
私のいけばなの生徒さんで、文科省予算で合衆国に2年間学んだ学生がいて、彼が帰国報告にいけばな教室を訪れてくれたとき、居合わせた生徒さんに対して毛筆でこう書いた。「いけばな≧English」。相手の関心を引く話題や経験を持ち合わせているほうが、コミュニケーションツールの英語力を持ち合わせている以上に強かったというメッセージ。
国際交流を促進させるためには、日本人としての個性と、個々人の個性を際立たせることが有効で、彼流に書くと「international≧global」。国際間の「際」こそが大事で、グローバルに一括りにすべきではないと思う次第。
ブロック塀 231113
2023/11/13
私の教室の老朽化した塀を造り替えるとき、コンクリートブロック7段積みを5段にしました。生垣にする選択肢もありましたが、落葉が道路に散乱する光景を恐れました。しかし、7段積みだと内外が完全に遮られてしまうと考え、視界が開ける高さに抑えたのです。
いま、いけばなに現(うつつ)を抜かす身になると、今度はブロックの工業製品っぽい質感が気になり始めました。フランスにだって、アメリカにだってブロック塀はありますが、なぜか日本のブロック塀のダサい感じが気になるのです。それは、日本の職人さんの仕上げがきちんとし過ぎる点にもあると思います。仕上げに隙がありません。写真で見る限り、ヨーロッパのブロック塀の造りはいい加減で、内と外をつなぐヌケ感があります。
日本人の弱味は、きちんとし過ぎることにあります。曖昧さを好んだ日本人が、今は欧米人以上に白黒はっきりさせたい人種になりました。ブロック塀はその象徴です。縁側もなくして、曖昧な空間を住居から排除しました。いけばなは、空間を侵食する、やっかいで強く、それでいて柔らかい存在です。