触感的いけばな 231031
2023/10/31
日常生活では、五感のうちで視覚が優先しがちです。そんな中、様々な表現活動の中で、いけばなは比較的、触覚の関わりが大きいと思うのです。
目で見たものは、大体「わかった」ような気になりますが、触ったり嗅いだりしたものは、「そんな感じ」がする程度で、明確にわかったとは言い切れないものがあります。いけばなでは、「そんな感じ」という微妙なフィーリングが大事です。
日本には四季があることから、日本人は季節感の微妙な違いを細かく感じ分けられるといいます。これは、視覚的な季節ごとの風景の違いに加えて、肌で感じる湿気の重さや気温の上がり具合、風の優しさや流れてくる桜の香りが鼻先で儚く消える感じなど、様々な変化を肌感覚のとても優れたセンサーで感知しているのだと思います。
いけばなは、この日本人の肌感覚が凝縮されたものだと思います。私は俳句はしませんが、俳人が吟行を好んでするのは、やはり肌感覚で世界を捉え切らないと言葉にならないのではないかと想像します。いけばなは、草花や木を媒介にして、もっと何かを触感的に掴み取ろうとしています。
パフォーマンス 231030
2023/10/30
11月3日にいけばなインスタレーションを行います。パフォーマンスと呼んでいいのかな? その場に居合わせた人の手も借りようかと思っているので、ハプニングが起こるかも? いい加減な説明しかできない状態ですが、ともかく海に向かって制作を開始し、6時間後に終了させます。
タイトルは「海を釣る(仮)」。竹とパンパスグラスを使った長い蛇状の物体を海に繰り出していき、材料がなくなったら引き上げ始めて、海が釣れたかどうか確認して終わる計画。
いけばなは1回性の表現で、なかなか再現できないし、作品が手元に残りません。見てくれる人が少ないと、表現した事実を世間に証明できない弱さがあります。画像や映像で記録するしかないですし、記録は平面的で実際に制作したものとは似ても似つきません。
1978年頃、渋谷の随所で“レコードコンサート”なるものが催されていました。煙草の煙もうもうの喫茶店で、ロックのライブアルバムを聴いて熱狂していた私は何だったんでしょう? いけばなのライブ映像を見て面白いと感じてくれる人が、今どきいらっしゃるとは思えないですけれど。
いけばなの空間 231029
2023/10/30
額縁入りの絵画であれば、カンバスに集中して仕事ができます。その絵がどこに飾られるかは時々の選択が可能だからです。絵と飾られる空間には、絶対的な相関関係はありません。
しかし、いけばなは、そうはいきません。与えられた空間が先にあって、そこに花をいけるので、空間といけばなには完全なる因果関係があります。したがって、その空間を綺麗にしておくことが、表現の下地づくりとなります。掃除=ハウスキーピングは、いけばなの創作活動の一部であり、スタートとなります。
ところが、人間がどんどんマニアックになっていくと、一見汚い廃墟に美しさを感じたり、場末の雑然とした溜り場に愛着を覚えたりするので、必ずしも清潔でシンプルな空間だけがいけばなにふさわしいとは限りません。ほんと、マニアは厄介者ですね。
さて、人間がさらにマニアックになっていくと、空間の性質などお構いなしになります。そのいけばなの圧倒的な存在感に目がくらみ、もう、その作品しか見えなくなることがあります。その時、いけばなはいけばなを超えて、オブジェとして君臨するのでした。
アート思考 231028
2023/10/28
昨日と違う切り口で見ると、仕事はお客様の課題解決が目的です。だから、企画マンも編集者もコピーライターもデザイナーもカメラマンもイラストレーターも、そして営業マンも、全員それぞれがデザイン思考で仕事をしていました。デザイン思考は、完全に仕事モードです。
私は今春退職してから、「いけばなが仕事になりました」と相手を見ては言っていましたが、私の思考のベクトルはむしろ逆方向のアート思考です。「お客様のため」意識が希薄で、新たに課題を増やして喜ぶ非仕事モードなのです。
しかし、気弱な私は、他人様の期待にも応えたいという心が捨てきれないのも事実です。アートは規制や常識から離脱していこうとする行為なのに、どうしても逡巡して圧倒的な表現ができません。
言葉遊びであることを承知で言うと、前衛作家が世間に認められて前衛作家でなくなったとき、その作家の前衛作品は“名作”として評価されます。伝統を標榜しているいけばなは、同時的に前衛でもありえるというところに面白さを感じています。だから、イメージを現実空間に表現する力が欲しいです。
HOWのいけばな 231027
2023/10/27
45歳まで、デザイン・編集・広告の会社でマーケティングの職に就いていました。「金額と納期がはっきりしないものは仕事とは呼ばん!」という諸先輩の教えがあって、6W3H(When,Where,Who,What,Why,How,How much,How many)の中で、WhenとHow muchを重視していました。そのうち経営者の方々との交わりが増えるに従って、動機や物事の端緒であるWhyを最重視しなければならないという考えになりました。経営の根幹にWhyのない企業は早晩滅びるだろうと。
いま、退職していけばなに専心するようになって、何のためにいけばなをするのか(Why)よりも、どのようにいけばなをするのか(How)に関心が移ってきました。仰々しい言い方ですが、何のために生きるかと考えるよりも、どのように生きるかと考えるほうが意味があると思うようにもなったということです。
いけばなをすることが生きること! みたいな覚悟はないままに、気付いたらいつも傍らにいけばながあったわけですね。今日も縁側で茶を啜りながら将棋を打っているみたいな感じで、なんとなく気付けば今日も……。
どうやったら、いけばながもっと面白いものになるんだろう? 目下のテーマです。