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いけばな随想
diary

昇格試験 240306

2024/3/6

そうでした。1月末に受験したいけばなの昇格試験、ぎりぎりセーフでした!

3つの大問題ごとに評価されるところ、やはり自分が大失敗したと思っていた解答は最低のC評価だった。完全にアウトだと思っていたし、諦めをつけて再受験の覚悟を決めていただけに、嬉しさはもちろん大きかった。

人生の前半には、一大事がたくさんやってくる。入学試験や就職試験が最たるもので、その後の人生が決められてしまいかねない大層なイベントだ。……いやいや、そんなことはない。合否ごときで生きるだ死ぬだという程ではあるまい?

しかし、改めて振り返ってみると、就職試験であっさり全滅したことが、私の人生を大きく変えた。最初の敗北は、公務員試験だった。午前中の科目のあまりの出来の悪さに、私は昼休みに試験会場の青山学院大学を出て、公衆電話から友人を呼び出し、受験記念だと言って向かいのボートハウスという流行りの店でボーダーTシャツを買い、午後の試験には戻らなかった。その後、企業の試験も2つ受けて2つ落ちた。

お蔭でその後紆余曲折したが、いけばなに出会って、今がある。

枯れ枝 240305

2024/3/6

いけばな教室の実家の庭には、いけばなで使った2mの竹を100本、2m50cmのパンパスグラスを40本、大きい梅の枝を数本等々、放置している。剪定して捨てないままの庭木の枝もたくさんある。サルスベリ、シマトネリコ、アメリカハゼ、モクレン、ムクゲ、マンサクなどで、マンサク以外の枝はすべて葉を落として枝だけにして、放置している。マンサクは、枝の葉が枯れ残った状態でワサワサと積んである。

片付けが好きだと言いながら、どうにも枯れ枝を捨てられない。拾ってきた流木も放置しているので、一見ゴミ屋敷だ。家の中も、2階と風呂場はドライフラワー置き場と化している。

私の祖母は、晩年、新聞折込のチラシと三越の包装紙をどうしても捨てられなくて、家じゅうの押入れにそれらが積み上げられていたっけ。祖母は紙だったが、私は木だ。

12年以上前に放置してあった竹などは、今ではもう朽ちて真っ黒になってきて、土に還りつつある。家の中のドライフラワーも、使わずに何年も経った束は、うっかり手が当たったりすると、風化が進んでいるからフワッと崩れて粉になる。

片付け 240304

2024/3/5

いけばなの研究会が終わった。私は、片付けが嫌いではない。一旦ばらばらになっていた物が、一定の規則のもとに整列していく様子が好きだ。この作業には時間がかかる。そして、その時間がかかること自体が好きなのだ。時間がかかるのにはわけがある。片付けるにあたって、いつも決めていた規則を変更したくなるからだ。

引っ張り出した物を元の場所に返すだけにしておけば早く片付くのに、敢えて一工夫してしまう。部分的変更は、当然全体の変更に及ぶので、大変なことになる。準備に2時間かけたとしたら、片付けには4時間はかかるわけだ。

これは無駄な作業ではないかと言われるかもしれない。しかし、そんなことはない! 長い時間軸で片付けを眺めると、必ず次の準備作業になっている。たとえば、いけばなで使うワイヤーを、色ごとに分け、太さごとに分けておく。次に使おうとしたときに、スムーズに取り出せる。

こう説明されると、私の片付けは、さも合理的に行われているように聞こえるだろう。それは違う。片付け方が細かいため、収納スペースが余計に必要で、場所を取ること半端ない。

研究会 240303

2024/3/5

「いけたら花は人になる」は、草月の初代家元・勅使河原蒼風の言葉である。その人となりがいけばなに表れるという意味だ。

その言葉通り、今日の研究会では参加者の個性が遺憾なく発揮されたと思う。言葉を交わす付き合いだけではなかなか見えない性質が、作品にありありと表象されたのだった。

人の性質というのは、これまた作品だけに表れるのではなく、制作態度や準備・片付けの様子にも表れるから面白い。それはそうと、10年前、20年前の研究会と比べると予定調和的な取り組みが減って、新しいことを試みようとするチャレンジ精神を持つ人が多かったと感じた。

人生を試し続けるのはタフさが必要かもしれないが、いけばなは、試し続ける対象としてもってこいである。仮に自分の考えや技術がマンネリ化しても、枝や花に同じものは2つとないから、意識しなくてもいつでも新しい試みになってくれる。

そして、研究会の良さは、日頃の人間関係を越えて、初めて会う人のいけ方を初めて見られる点にある。「そう来たか!」という思いがけない切り方や挿し方に接して、脳が掻き混ぜられる。

しつこさ 240302

2024/3/5

東京から草月流本部講師をお迎えして、懇親会を開いた。会場は、ANAクラウンプラザホテル松山のガーネットルーム。

個人的なことでは、当ホテルとは相次いで特別な関係にあった。去る11月、ある大きな催しで、私の不注意から会場のパーテーションを倒して穴を開けてしまった。もちろん快く弁償した。明けて1月には、ある新年会で、私が用意した竹が余興の最中に折れて、竹の黄色い粉が舞い散った。出席者は、それを演出だと思って拍手を送ってくれたが、ホテルのスタッフは、カーペットに絡んだ粉を吸い取るのにとても苦労されたと思う。

で、今日の懇親会だ。私が三たび粗相を仕出かしたら困ると思ったのか、新年会の担当者が満を持しての担当だ。申込時にホテル内の和食店が満席で、用意していただいた宴会場は、7人の会食に対して30人は収められる部屋だった。

料理が美味しいのは折り紙付きとして、貸切の贅沢な部屋で、専属スタッフが2名付いて、慣れない我々にとっては貴族の晩餐会のようだった。

「禍を転じて福と成す」ためには、失敗しても、しつこく食い下がることだ。

講師の事