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いけばな随想
diary

はしたない 260215

2026/2/15

 伝説や昔話によく出る「はしたない」という言葉は、最近あまり使われない。語義は、慎みがなく、礼儀に外れ、品格に欠けて見苦しいという、半端ない状態を指す、字面以上に怖い言葉だ。草月流100年の歴史は、昔と言うには短いが、それでも、はしたないことを避けるという点では、いけばな全体の伝統を引いてきた。
 しかし、特に現代日本の政治の世界を眺めると、はしたない振る舞いが多くて困る。それは遠い間接的なものではなく、いけばなの立場にも私の神経にも直接関わるからだ。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」は、やり過ぎ・有り過ぎは、足りないのと同じくらい良くないという意味で、この諺は、いけばなの「切って、切って、切っていく」態度を後押ししてくれる。「及ばざるは過ぎたるがごとし」と言わないところを思えば、日本人の感覚として、どちらに肩入れしているかというと、足りない方の側なのである。
 これは、散り急ぐ桜に対する日本人の思い入れにも通じている。小野小町の歌「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」に、共感するようになった私だ。

切り続ける 260214

2026/2/14

 傑作を1点でもモノにしたら万々歳だ、と思う人は二流である。一流は、傑作ができたと自画自賛しないし、歩みを止めることもないからである。一流はどこまでも描き続け、つくり続ける。
 いけばなは、仮に自己満足できる作品ができたとしても、①長持ちせず、②持ち運べないという2つの理由から、長い期間、多くの人々に見せつけることができない。だから結局、短時間の存在であること、少数の人目にしかつかない可能性があること、この諦めを前提にして取り組む態度を磨くことになる。でもそれは、他人に対する態度に過ぎない。
 ひと振りに全霊を込める剣道の素振りのように、ハサミを入れる一手に集中して切ることを繰り返す。日々のいけばなはそういうことであり、作品をモノにするという目的ではないような気がする。自分に向き合うとき、それが華道なのかもしれない。
 だから、いけばな展に出品する作品を構想するのは、ジレンマが伴う。外見を見せたいのか、内面は見せたくないのか、目の前の形だけを提示するのか、毎日の行為の1コマを覗かせたいのか。いけばな展まで1週間を切った。

ユーモア 260213

2026/2/13

 いけばなのカリキュラムに、「野菜・くだものをいける」がある。ユーモアのセンスが低い私が、最も苦手とする。なぜといって、野菜をいけてユーモラスにならないないわけがないのに、私の本能がそれを拒否するからだ。くだもの全部を握り潰して果肉と果汁が飛び散った現場をつくりたいくらいだ。
 大根足、ドングリまなこ、かぼちゃ頭、桃尻、リンゴのほっぺ、おたんこ茄子等々、そんなに多くは思い浮かばないが、野菜・くだものは擬人化しやすく、また逆に擬物化もしやすいため、見た人がその1個1個を凝視して、形状や色彩に囚われ過ぎる可能性を思う。
 野菜やくだもの、動物や花などのモチーフをパズルのように組み合わせて気味の悪い肖像画(寄せ絵)を描いたのが、16世紀のイタリア人画家、ジュゼッペ・アルチンボルドだ。その奇想の絵描きは、ハプスブルグ家には受け入れられたが、おそらく現代の松山空港や松山駅などのパブリック空間には受け入れられない。
 蜜柑畑か椿の写生的な絵、または写真を展示して、横に「これはアートです」とユーモアを交えた説明書きが付くくらいだろう。

インスタレーション 260212

2026/2/12

 いけばな展が終わったら、私は使った花材のほとんどを廃棄する。石やブロンズの彫刻ならば、押入れに仕舞い込んでおくかもしれない。いかんせん、生花の寿命は短い。
 昔、松山市内の大街道商店街で、川俣正という芸術家が、インスタレーションを披露した。アーケード内に木材を組んで、橋のようなトンネルのようなジャングルジムのような“建築物”を組み上げたのだ。これは、作品をつくるというより、出現させる行為だと思った。ウルトラマンでもゴジラでも、出現したら退場する。川俣正の作品も、せっかくつくり上げたのに、壊し始めるということをしないとインスタレーションの道に反する。そして、跡形もなく消し去ってインスタレーションは終わっても、私の記憶には残り続けたのだった。
 一発芸ではないけれど、いけばなも、硬い彫刻として残せないなら、見た人の記憶に残せたら嬉しい。
 いけばなは「よくわからない」。いけばなを「どう見たらいいの?」。声に出して聞かれたことはないが、そういう人に、考えるよりも先に驚かせたり、うっとりさせることをしたいと常々思ってはいる。

アート 260211

2026/2/11

 今日が誕生日の亡父は、公務員だった。私は宇宙飛行士になりたいと書いた小学生時代、サッカー選手になりたいと思った中学生時代、アーチストになりたいと思った高校時代を経て、父子喧嘩も挟みながらそのどれにもならず、今いけばなをしている。
 いけばなは、いけばなであってアートではないという考えは、私は持っていない。草月流は、いけばなを芸術たらしめる気概を持って始まったからだ。しかし、いけばなはいけばなであり、家元だけはアーチストである可能性があるとしても、その門下は家元制度の下にいる限り本当の意味でのアーチストにはなれないという意見もある。
 これと同じくらい曖昧なものに、パブリックアートがある。松山空港や道後温泉界隈のモニュメントやアート作品だ。砥部町の「陶街道」もそうだ。地域をシンボライズしたり、芸術を身近に感じさせたり、“いいね”を数多く集めたりすることが、アートの目的だろうか。アートはもっと孤高の独自性を出すものではないのか。
 この議論はずっと続いていくと思ったので、私はもう、はっきりした境界線を引くことは止めている。

講師の事