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いけばな随想
diary

念ずれば花ひらく 240914

2024/9/18

坂村真民さんの詩集のタイトルである。これは、一生懸命に念じて努力すれば願いは叶うというような意味に解釈される。そして、それ以上でもなくそれ以下でもないと感じていたから、詩集を手に取ったこともなく過ごしてきた。ただ、花という語には敏感だから頭に残っていた。「諦めない限り失敗ではない」という松下幸之助の言葉も自分自身に対する暗示で、当たり前と言ってしまえばそれまでのことである。

いま、ふと考えたのは、「念ずれば花ひらく」で「ひらく花」は自分自身のことを指すのではなくて、自分が対象とみなしているものが咲くのかもしれないということである。

あの人が成功しますように! と念じることが、少なからず良い結果を生んでいることは、親が子に対する念じ方が大いに作用しているだろうことからも類推できる。かといって、子には子の人格があるから、親の思うようにもならない。

いけばなは、そういう芸術なのではないだろうか。生花という材料は、御しがたい猫のようでもある。愛情の注ぎ方に比例するような簡単な話ではない。そしてまた、そうだからこそ面白い。

風に乗る 240913

2024/9/16

風船唐綿(フウセントウワタ)の花は白く小さくてかわいい。花が萎れると、花だった部分は毛の生えた緑色の小さな風船に変化し、それはみるみる5cmを超える大きさになり、その奇妙に動物的な姿はなかなか言葉で説明しかねる。その中には何十個もの直径2mmの黒い種を宿す。数えたことがないから、ひょっとしたら百個を軽く超えているかもしれない。その種の1個1個には白銀に輝くミクロン単位に細長い産毛が密生していて、タイミングを計って外皮の風船が割れ、産毛のパラグライダーが微かな空気に飛行して、無重力かと見える様子で漂い運ばれていく。

動物は、積極的に動くことで生を掴み取るが、植物は違う。人間は、自分で考えて自分で動けないと学業や運動の成績は伸びないと思ってきたが、ひょっとしたら、人間も自分で飛ぼうとせず、風を掴み風に乗って飛ぶことが、その人生をよりよく送るためには大事なのではないかと思う。

風に乗るのは他力本願ではない。風を読むのも風に乗るのも難しい。空気の動きを観察し予測して、勇気をもって飛び乗ること行為は、すべて自分の意思による。

ピアニッシモ 240912

2024/9/12

ケニー・ドリューというジャズ・ピアニストが弾く「Summer Night」が、私の心に沁みる。音をあまり鳴らさず休符とタメで演奏する。それが収録されているアルバム『Dark Beauty』には、「Run Away」や「It Could Happen To You」など強力なリズムと印象的なメロディの曲があって、そういう派手な曲があるとアルバムも売れやすい。

そうなのだ。強弱のアクセントはあらゆる芸術的表現に欠かせないのだけれど、たいていは「弱」が「強」を補強する役回りになりがちで、「弱」を際立たせるための「強」という役回りはほとんど見かけない。

いけばな展に赴き、「静」×「弱」の素晴らしい作品にたまに出会うときがあって、そのときは心が震える。そうなのだ。私の好みは、どちらかといえば心に沁みたり心が震えたりする作品で、心が踊るような作品ではないのかもしれない。

自分一人が自分のためにいける花も、本当は侘びていたり寂びていたりしていたい。ところが、それをSNSのために仕上げるとなると、派手な味付けになるよう調味料を振りかけ過ぎてしまう。心が強くなれない私は、見かけの強さに溺れるのだった。

個と集団 240911

2024/9/11

1人だと真面目で優しい奴なのに、徒党を組むと人が変わったように荒っぽくなるんだよなあ。そんなふうに、「赤信号みんなで渡れば恐くない」的に変身する奴は多い。残念だと思う。しかし、いけないことをたった1人でやりこなしている奴に出会ったら、いけないことだけれど褒めてやりたい。ちょっとカッコいい。

1人だと迷いに迷って決断できないのに、仲間と飲み会で笑っているうちに迷っていることが馬鹿らしくなって、スッと迷いが消えたりする。ありがたいことだ。しかし、面白いことを1人占めしている奴を見ると、なんて1人よがりなんだと責めてやりたい。いかんやろ! と。

こんど10月に開催するいけばな展は、52人みんながそれぞれ1人で作品をつくる。たいていの展覧会では複数人で関わる合作とか連作があるのを排除して、今回はとことん個人制作にこだわる。

だから、個々の性格や気質が如実に表れるだろう。楽しそうだ。だけど、普段のお稽古や研究会などを通じて、「草月会愛媛県支部」の性格や気質もにじみ出るかもしれない。見破られるのは、こそばい(くすぐったい)。

いけばならしさ 240910

2024/9/10

いけばならしさとは何か? フラワーデザインやフラワーアレンジメントと比べてどうか? 日本の伝統文化といわれる茶道や書道と比べてどうか? 同じ日本の伝統に根差した柔道や剣道などの武道と比べてどうか?

これまで、気分的には、まわりと比較していけばなはこうかもしれないし、どうだろう、よくわからないけど、というくらいの迷い方で、いけばなを繰り返し問うてきたつもりである。しかし、いけばなを習う人のほとんどがそんなことで悩んだりするヒマジンではないし、その迷いを共有するために習い事に来ているわけではない。

昔は、お花の先生も敬われ、私がこう言っているのだから、こうなの! と言えばそれまでだったのが、今どきは何でもその場で検索できるので、先生の言うことが必ずしも正しくないというのが当たり前になってしまった。

ルーツを遡れば、いけばなは華道である。道は先生が実体験によって究めた道で、富士山の登山道のように道しるべがある道だ。しかし、富士山に登頂するには、登山道を登らなくても可能だ。示された道を横目で見ながら、自分の道で登っていける。

講師の事