汀州Japanlogo 汀州Japanlogo

いけばな随想
diary

文化って何? 250212

2025/2/12

 1984年頃の『日本細末端真実紀行(椎名誠)』を引っ張り出してみた。渋谷の「スペイン坂」をこき下ろす記述や、ファイヤー通りに「文化屋雑貨店」ができた話などが載っていた。ちなみにラフォーレ原宿の開店が1978年。80年代にファッションのメッカは渋谷に移る。83年にラフォーレ原宿松山店が開店。追いかけるように「文化屋雑貨店」もロープウェー街に開店したような……。
 当時、愛媛には文士中心で60歳前後の教養ある文化人と、学生運動を経験した40歳前後のアングラ文化人と、我々20歳代のファッション指向の偽文化人がいた。昔の文化人は芸術への造詣が深く、社会問題にも高い関心を持っていたが、私自身を振り返って思うのは、非政治的な性格が強くなって趣味に遊ぶ役立たずの側面を強くした。
 そして、株式会社東急文化村によるBunkamuraの開業が1989年。それに先立つ1986年に愛媛県県民文化会館が開館し、1991年には愛媛県が「生活文化県政」を謳った。1994年には松山市文化協会が発足している。政財界挙げての文化ブーム到来だ。そして私がいけばなを始めたのが2000年であった。

建国記念日 250211

2025/2/11

 今日は愛媛縣護國神社の「皇紀二千六百八十五年建国記念日祭」に代理参列した。こう書きながらも、どういうふうに尊敬語を使うのがふさわしいか、自分に腹が立つくらい分からない。
 国会議員の靖国神社参拝が問題視されるに至ってから、大手を振って参拝しにくい感がある。覚悟を決めて詣でる必要があるというか、そんなことを悩むこと自体が馬鹿げているというか、なんとも生き辛い世だ。そして近年は、国旗を掲揚したり「君が代」を歌うことにも配慮というより遠慮が必要なのである。高校野球を応援するように、自分が生まれ育った土地や人に思い切り愛情表現できないものか。
 今日の式典では、2月1日に私がご奉仕した本殿の献花がまだ何とか生きていた。後の祭りだが、こんなことと分かっていたらもう少し“立派な”花をいけたのに。私は本当に漠然と“神様”に献花させていただいたに過ぎなかった。
 帰宅後、私は母方の祖父を思った。第二次世界大戦のとき密告で投獄され、それがきっかけで体を悪くし、私が生まれるよりも前に他界していた。それはそうと、今日は亡父の誕生日である。

季節感 250210

2025/2/10

 日陰の風はまだ冷たく重かったが、午後の空は晴れ晴れと明るく冬の終わりが感じられた。それは視覚的なものと、空気の温度の肌感覚と、庭の土の匂いと、近所の中学校から聞こえる声など、たくさんの要素が私の感覚に訴えた。
 人に備わった感覚は個人的なものだから、当然「まだまだ冬!」と思っている人はいるはずで、他人と共有したいと思っても季節の感じ方は微妙に異なるだろう。感覚を共有したいのなら、理屈ではなく同じような経験を当人同士が緊密に持っていることが重要である。
 1つには家族がある。血の信頼によって結ばれていることに加えて、同じものを食べて共に過ごした家や土地や環境に対する愛着がある。慣れ親しんだ親戚や近所や風景もある。もう1つは学校や職場である。1日の半分を一緒に過ごす者同士は、やはり分かり合えるものだ。
 外国人にもいけばなが広がり、日本人でも新しい育ち方をする人が増えるなかで、私の感覚も影響を受けて少しづつ変わってきている。ほかの人の感覚も、環境や世代などによって大いに変わってきた。いけばなに、季節感さえ込めにくい時代だ。

教えない 250209

2025/2/9

 お金をもらうからには、いけばなを教えなければいけない。ところが過ぎたるは及ばざるがごとしで、教え過ぎると生徒は学ばなくなる。学ぼうとする機会や気持ちを摘み取ってしまうことにもなる。
 野生動物の子どもは、人間に比べて何倍も速く大人になる。裏側では天敵に食い殺されたりして種全体の死亡率は高いが、たいていの動物は自己責任で学んで命を永らえる。危機に瀕するたびに注意力や観察力が自ずから育っていくわけで、危険な目に遭えば遭うほど経験は蓄積され、五感や直感も磨かれて、学ぶという才能が身に付く。
 私が親に感謝していることは多い。まず、基本的に禁止を命じなかった。また、裏で監視していたことはあっても放置しているフリをしていた。だから、物心つくまで、私は自分自身の力で育ってきたと思い込んでいた。実際、自分が見つけたり編み出したりしたこともあるだろう。しかし、中年になってから思い返すと、両親や祖父母や学校の先生の無言の導きがあったことを痛感した。そして、両親が他界してから空っぽの実家に座っていると、ますますその思いが強くなった。

不慣れ 250208

2025/2/8

 旅行をする。不慣れな土地へ行くと、目的地までの道々、標識をよく見るしとにかく周りの景色や商店の佇まいや住宅のポストなどにも目を配る。不慣れな土地へ行って面白いのは、こうして発見がたくさんあるからだ。慣れた土地では周辺の様子にほとんど気を遣わなくなる。慣れるというのはつまらないことで、毎日の生活や長い人生を面白く過ごしたいなら何事にも慣れないように心掛けることだ。
 不慣れなことをする。手際が悪く、うまく運ばない。しかし、それがいいことなのだと気付かない人がいる。たちまち上手にできてしまうようなことは、人生においてさほど役に立たないちっぽけなこと。すぐに上達するようなことこそAIやロボットに任せていい。
 中学校や高校の授業が面白くなかったのは、多くの同級生が同じように物分かりが良かったから。小学校では勉強嫌いや暴れん坊や鼻たれ小僧が混じっていて、本当に楽しかった。
 大人のいけばな教室がいま面白いのも、本来は馴染めない人々が集まっているからだと思う。いろいろな意味で慣れさせてくれない。だからいつも新鮮な気持ちで望める。

講師の事