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いけばな随想
diary

非凡な凡 250418

2025/4/21

 先日車を走らせていて、ラジオから聞こえた歌に釘付けになった。思わず音量を上げて、聞き逃すまいと集中した。グループ名は「チルドスポット」。曲は「クラッシュ」。かつての「カーディガンズ」の狂気を隠した透明感と「ポリス」の小気味の良いミニマムな演奏とを合わせたような才能だ。技術がないからかもしれないが技を繰り出すことなく、センスの良さだけで突っ走っている若々しい感じ。
 どちらかといえば重い歌を歌っているのに、歌い方と演奏の仕方とで軽さがあって安心して身体を預けられる。ドライブ感をガンガン出しているかと思うとフッと息を抜く粋さ。音を厚く重ねたかと思うとフッと力を抜く粋さ。20歳くらいでここまで演れるのかと思うと羨ましい。いけばなをするならこうしてみたいものだ。
 肩の力を抜いてちょっと軽めに。これがなかなか難しい。やってやったぜ! という感じがあると見る人に重さをかけてしまう。そしてやり過ぎると鼻に付く。かといって軽過ぎると目に留まらなくて見過ごされてしまう。素人かと思わせる所が玄人はだしだ。速攻でCDを買ってしまった。

左から右から 250417

2025/4/19

 松山商業高校日本文化部(うち華道部)の活動が始まった。私は1年生の新入部員4人に自己紹介をしながら、彼女たちに何を話すべきかを頭の裏側でつらつら考えていた。
 私の話はだいたい冗長でとりとめがなくなるから、何かパワーワードを1つに絞って端的に話したいと思った。しかしうまくいかなかった。「いけばなは空間表現だから、正面からだけでなく前後左右上下から見られることを意識して……」ああ、また長く難しくなってしまった。まだしも2年生や3年生の目の前の作品を題材に取り上げながら話しをしたので、少しはわかってくれたと信じたい。
 さて、草月のテキストは非常によくできている。作例の写真が正面だけでなく側面からも撮られていることは特筆すべきだ。また、正面図と俯瞰図も描いてくれている。至れり尽くせりと言うべきだろう。空間を把握するためには、頭の中に360度の視点をもたなくてはならない。それを“私”になり替わって見せてくれているのである。
 いずれにせよ、いけばなを写真で撮っても本当の良さは伝わらない。平面的でなく深さを持った見方が必要だ。

草月の多様性 250416

2025/4/17

 いけばなをやっているということが珍しいとされる時代になった。そうなると、いけばなをしている人は変わっている人たちとして一括りにされるかもしれない。
 しかし、わざわざ少数派の領域に住む人は何事にも意識的である人が多いから、むしろ誰もが別々の方向を向いていて、とても一括りになんかできないというのが私の見立てである。
 着ているもの、食べているもの、やっていること……、他人と少し違うなと見える人は、たいてい中身はもっと違う。時には奇をてらっていることがあるかもしれないが、たいていは地が出ているだけで無策である。無策なのにも関わらず、周りからは珍奇の目で見られてしまう。
 草月をやる人は、いけばなの伝統と造形の現代性の両極端を1つの作品にミックスさせようとする(先天的に、または偶然に出会ってしまった指導者の影響で後天的に)。このとき、いけばなの伝統の部分では他の流派と同じスタンスだが、問題は造形の現代性の部分で、これは時代による表現の流行にも左右されるが、何よりも人数分の性向が淀みなく表れ出て、多様性の証拠を示すのである。

押し付け 250415

2025/4/17

 親切にされることは嬉しいが、親切の押し売りは有難さを迷惑さが上回って嬉しくない。正しさの押し売りも厄介で、下手をすれば戦争になる。正しさなどというものは相対的で、かつ宗教性を帯びたり歴史的な国民感情に根差していたりするからだ。
 戦争に勝つと、文化の押し付けが始まる。実際の戦争だけではなく、経済的優位性を勝ち取ると行われる。19世紀から欧米各国による植民地政策が流行り、遠い地域の資源や労力を収奪しておいてお返しに自国文化や言語や貨幣を強制するというやり口で、先進国と呼ばれる国々ほとんどが反省しなければならない。
 日本も明治維新以降、急激に欧米化が進み、固有の文化が翳って何でもかんでもグローバルスタンダードを押し付けられてきた。自らそれを選び取ってきたと言うかもしれないが、日米安保の傘の下で仕方なく継続している。
 いけばなの源流は中国にあるかもしれないし、仏様や先祖に花を献納するインドやスリランカ、タイや香港なども無関係ではなさそうだ。一概には決めつけられないけれど、いけばなや華道は押し付けたくなる日本独自の文化だ。

好きな花 250414

2025/4/16

 先日、花の仲間で集まった時「好きな花は?」という話題になった。私はポピーだ。オレンジがかったピンクの花びらは蝶の羽のように薄く、細長く弱々しい茎が2つに分かれて、一方の茎先は少し垂れて蕾をつけている。風が吹くと折れてしまいそうだ。しかし、葉は下の方だけにあるため実際には風の抵抗をあまり受けることなく、大揺れしても折れることはない。海の中の海藻が折れないようなものかな? と思ったりする。
 ポピーの呼び名が一般的だけど、これは芥子の花でケシ科ケシ属である。原産地はシベリアやモンゴルで、私は子どものころから夜見る夢にモンゴルの平原が現れていたくらいだから、その夢の風景に揺れているポピーを思い描くともう堪らない。
 さて、ポピーの次に好きなのはラナンキュラスだろうか。こちらはキンポウゲ科キンポウゲ属だ。茎の細さはポピーと似ていても花びらの巻きが多く華やかで、私よりも蜷川実花さんが好きそうだ。私は桜にしても花びらは少ない方が好きで、八重桜は二の次という感じ。
 で、驚いたことにポピーの花が1輪、庭に突然咲いていた。吉兆である。

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