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いけばな随想
diary

理想の危険 240826

2024/8/26

私はアナーキストではない。しかし、理想への追求心が激しい人の危険さを知っている。私は若いころ政治家になろうと激情的に思い、23歳で衆議院議員の秘書になったから、それがどんな衝突や不幸を招くか知っている。

だから、今は半分だけ理想を追いながら、半分は現実に甘んじている。そんな態度では芸術家などにはなれないことは分かっている。芸術家は、あるときは全身全霊で理想を追い、あるときは全身全霊で世俗にまみれるものだから。それを世間から眺めると、なんて愚かなことを! というふうに映るのだろう。理想を追っている量は、芸術家も凡人も等しいことに気付かずに。

理想を追う者は、時にヒステリックだ。だから、ヒステリックないけばなも出現する。交響楽的に構成されたいけばなは、時にフォルテシモが強過ぎてヒステリックになるし、ソロで構成されたシンプルないけばなも、シャウトし過ぎるとヒステリックだ。

一流レストランの料理人のように、穏やかな変化と強弱で統一感あるコース料理を提供できるといいのだが、自我の理想に過剰に燃える表現をすると、観客が困る。

沈黙の表現 240825

2024/8/26

無声映画と呼ばれる芸術は、「無言無音で語る!?」ことで観衆の目に訴える技術を磨き上げた。チャーリー・チャップリンはその代表格で、数多くの名作を通して喜劇王とも呼ばれた。しかし、私の中では喜劇性よりも攻撃性を強く感じてきたので、冷静な激情王と呼びたい。

それはさておき、無声映画はセリフがないため、喜怒哀楽は文字通り体現するしかない。基本的には、パントマイムをデフォルメしなければ伝わりにくい。大道具・小道具も大いに助けとなるし、1人芝居ではないので共演者の演技力もそれを助ける。

しかし、難しいのが、小さくさりげない喜怒哀楽の表現だ。演劇部員だった経験から言えば、食事中にちょっと咳き込むとか、仕事中に不覚にも眠たくなるなど、日常的な何気ない演技ほど難しいものはない。

さて、ジャンルは違えど、いけばなも沈黙の表現だ。生活空間にいけるとき、その存在感が大き過ぎると、デフォルメされた大袈裟な演技と同じようになってしまう。部屋の空間に寄り添うように、静かでさりげない演技が必要となる。それでいて「黙して語らず」ではまずいのだ。

コンディションづくり 240824

2024/8/24

昨日、特定健診に行った。私は既往症のため毎月かかりつけ医に通っているので、年1回の健診は安心のための行事だ。

検査前の看護師の問診は、通り一遍の質問に通り一遍で答えて終わりにしてしまうこともできたが、「ほかに日頃気になっていることはないですか」と聞かれ、「腹回りが……」と言うと「お腹回りですねえ……」と復唱され、「注意しましょうか」とにっこりされて終わりだった。

いけばななんか、そんなに体力を使ったりしないだろうと思われる節がある。それは間違いだ。テレビを見るのだって、背筋を伸ばして座っているだけでしんどい時もある。体調が優れないとモチベーションは上がらず、体を動かすことも頭を働かせることも億劫なのだ。検査後に20年来の医師の問診で、「胸やけと、足先のしびれと、肩こりと……」と言うと、「どんな感じ?」と聞かれて細かく答えたら、「数値的には問題ないし……、まあ、様子見ましょう」。

病は気から、というのは若い頃の話で、歳を取るとすべては体からで、数値の問題ではない。体調を整えないと、いけばなですらまっとうにできない。

国際的いけばな 240823

2024/8/23

世界を知るために、少年の私は世界地図帳で勉強した。世界を知るために、英語も勉強した。そうやって知識を広げてきて、大人になってからは実際に外国へ行ったり、ホームステイを受け入れたりして、拙い英語でコミュニケーションを取る努力もした。

知識と体験で少し世界を知ったとき、足元の日本のこと、身近な松山のことをあまりに知らない壁に当たった。京都のことも福岡のことも知らないし、新居浜のことも宇和島のこともあまり知らなかった。地理的なことだけではない。天皇制のこと、自衛隊のこと、茶道や歌舞伎のこと、神楽や密教のこと、浮世絵や源氏物語のこと、歴史も伝統文化も知らなかった。華道にも床の間にも興味はなかった。

知りたいという欲求は、関心を広げていく作業と、狭めて深めていく作業の両方によって満たされる。広げないと相対的な位置取りが見えないし、深めないと語るに足りないということになる。

パリ五輪で、柔道の審判やその判定に意見が噴出したが、国際化においてそうした現象は想定内でなければいけない。いけばなの国際化も進んでいて、華道も変化する。

文化的いけばな 240822

2024/8/22

文化的な過ごし方というと、まず浮かぶのは読書だ。私の読書生活の最盛期は、中学生の時。吉川英治の『三国志』『宮本武蔵』『新・平家物語』等の大部を、夜な夜な読んだのもこの時期だ。私が理屈っぽくなったのは、文字へのこだわりが強過ぎたからかもしれない。度を超えていたため、家族から「屁理屈マン・キング」と呼ばれてもいた。

読書の次は習字で、小学2年から中学3年まで毎週通った。墨の香りが沁み込んだ部屋の縁側にはカナリアの鳥籠が吊られ、襖を隔てた隣室は琴教室だった。都合8年間、文化的な字と音と香りの洗礼を受けたと思う。

美術部員で過ごした高校時代は筆のすさびで終わり、大学の演劇サークルでは舞台美術も担当したが、雌の烏ではなく女烏の役で歌わされもした。そして20歳からは、前衛ロックバンドを組んだ。

こうしたキャリアが幸いして(災いして)、私のいけばなは叙述的である。語り口が多過ぎる説明的ないけばなだ。我ながら恥ずかしく思うけれど、屈折して理屈っぽい。昔から、文化人というのは鼻持ちならないと嫌われてきたように、文化人は複雑なのだ。

講師の事