秘すれば花 240406
2024/4/7
世阿弥の『風姿花伝』の「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という一節を、私は事あるごとに思い出すが、その真意がまだ理解できていないことを白状しておく。
まず、何を秘すのか。素直に読み下すと、〇〇を秘すから花になる(花が咲く)のであって、秘すのは花ではない。では、秘すのは秘物なのか秘事なのか、秘技(または秘儀)なのか思想なのか。あるいは「答え」を秘すのか「問い」を秘すのか。
もう少し深読みすると、何か大切なものがあるということを秘すだけでなく、何かがないことや、何もないことをも秘すということが言いたかったのかもしれない。
私はポーカーが下手なので、ポーカーフェイスをうまく装えない。いや、違う違う。ポーカーフェイスができないから、ポーカーが下手だ。
では、持っているものを隠すのと、持っていないものを隠すのとは、どちらが大変だろう?
「持っている〇〇を隠すと、素敵ないけばなができる」とすれば、何を隠そうか? もし「持っていない〇〇を隠す」とするならば、素敵ないけばなにするために何を持っていないことが最も効果的だろうか?
汎用ツール 240405
2024/4/7
裾上げテープを買って、パンツの裾上げをした。安くできたが、使い方に熟達していなかったため、皺が入らないようにパンツとテープを少し引っ張ったのが災いして、逆にシワが入ってしまった。無理に引っ張らず、テープを自然に生地に沿わせることが肝要である。
現代は便利グッズがたくさんある。ホームセンターや百円ショップを探せば、たいていのニーズに応えてくれる。しかし、いろいろ買って物が増え、しまい込んだ物を忘れてしまうのだった。
太い枝が楽に切れるハサミも買った。普通の花バサミよりは太い枝が切りやすい。でも、3cmを越える枝は、ノコギリの方が勝手がいい。結局、アネモネの細い茎も切れれば、太い桜の枝も切れる花バサミとノコギリで仕事はできる。で、新しく買ったそのハサミはしまい込んでしまった。
便利グッズの多くは、小さな不便さを解消するにはいいけれど、用途別に道具を揃えるとその管理と使い分けが大変だ。
1つの道具をどこまで使いこなせるかに挑戦することは、高いコストパフォーマンスも実現できるし、自分の頭と体を使いこなすトレーニングにもなる。
自己満足 240404
2024/4/6
こだわりは、たいてい自己満足である。
知人が言う。「普通に売られている軽(自動車)をチョコチョコいじって、それで猛スピードで走るんが堪らんのよね」
「そこらで売られている安物シューズを履いて、陸上競技大会で優勝するんも、かっこええね」
「ランボルギーニで速く走るんは、当然だから面白くない」
「速く走れるんが分かっとるけん、速く走る必要はないともいえるんが、悔しいね」と私が返す。
「わざわざ軽(自動車)を買うて、それをいじっとるいうのは、外見的には別に誰にもわからん。これにことにこだわっとる。わからんいう所がなんかウキウキするやん?」
「やせ我慢というか、反骨精神というか、下剋上の美味しさみたいなもんがあるよなー」
「そうそう、あたり前くらいつまらんもんはない!」
「何にでも意外性が欲しいよね?」
「そうそう、想定外というのが、人をシビレさせるんや」
「そやけど、こだわればこだわるほど、えてして他人には分かってもらえんやろ?」
「そうなんよなあ。改造自動車なんか走らせても、誰も見向きもせんけんな」
いけばなの工夫も、ほぼ自己満足だ。
ハーモニー 240403
2024/4/6
性格の違う花を一緒にいける……と言っても性格まではわからないのだが、花によって萎れるタイミングはどうしても異なる。
いけばなには「一種いけ」があるとはいえ、大抵は「枝もの」と呼ばれる木と、「草もの」と呼ばれる花を組み合わせて、2種以上の花材でいけることが多い。そして、「枝もの」の方が「草もの」よりも長持ちするので、自宅のいけばなとしては、命の長い枝をベースにして、萎れた花を入れ替えながら長持ちを図ることになる。
世間には、絵画や映画・演劇など、材料や配役を組み合わせた表現が多く、単独・単一の表現というものの方が見つけにくいくらいだ。しかし、料理でもそうであるように、異種を組み合わせて作り込む方が味に深みを出しやすいという点では異論はないだろう。演奏について言えば、もちろんソロピアノの演奏にはそれとしての魅力があるが、オーケストラを構える方が、ソロ演奏をも含み込めるという点で表現の幅が広がる。
しかし、学校のクラス編成で苦労するように、いろいろな生徒を1組にまとめるのは至難の業で、数が増えるほど大変なのであった。
主役交代 240402
2024/4/6
「いけばなは、構想が先にあるのですか? それとも、この花をいけたいという欲求が先にあるのですか?」と聞かれたことがある。正直、その時々のことである。
先頃、らせんの具合がとても魅力的なキウイの蔓に出会った。それを活かせるように花器を選び、組み合わせる花も選んだ。そして、主役となる蔓を目立たせるように、いけ終わった。ところが、どうもしっくりこないのである。脇役となる蔓や花をいじっていると、だんだんサマになってきた。そして、最後の最後に主役と決めていた蔓を引き抜くと、完成した。
全体のハーモニーにおいて、それを乱すのは特徴的で存在感のある枝ということになる。皮肉なことではあるが、主役級だからこそ交代させざるを得ないということは多い。
ドラマのキャスティングなどでは、どのように解決させているのか事情は知らないが、おそらく脚本がしっかりしているから、主役の交代が起こりにくいのだろう。そんなテレビドラマでも、放送途中で脚本を書き替える必要が生じることもあるようだ。
なおのこと、いけばなでも事前のスケッチが必要だということか。