深める 260101
2026/1/1
今年の方針である。それはいけばなの表現においてもそうだし、字を書いたり、食事を摂ったりするような、生活全般についての目標でもある。
昨年までの反省として、表現は必ずしも「功」や「能」を見せることではないと思っていても、それをひけらかしたくなる気持ちを抑制しきれなかった。私のような、中途半端に「道」に入った者は、自分のインスピレーションを十分に表現できる境地には依然として達していない。味を究めていない癖に、風味で胡麻化してやろうとする料理人と同じだ。その段階で、巨匠と同じ土俵に立とうとしてはいけない。これが、私自身に対する戒めである。
流派が異なるいけばなでも、その表現に深みがあるかないかを感知できるようになった自覚はある。深みのあるいけばなは、表面的な説明を拒否する存在感がある。薄っぺらくないという点では、厚みがあるとも言える。仮に花一輪を挿しているだけであっても、その一輪を取り巻く空気の層に厚みがある。
絵画ですら奥行きを感じさせるのだから、いけばながそれを感じさせられなくてどうする? とこだわる1年にしたい。
時間の螺旋 251231
2026/1/1
生まれてからこのかた、1秒1分……1月1年と時を重ねてきた。時間経過は一直線のようでもあり、千切れかけの毛糸のような曲線にも感じられるが、植物の生長を見ていると1年周期の螺旋を描いていたと気付かされる。
梅、松、柳、南天、千両、葉牡丹、菊などは、毎年の正月に巡ってくる定番花材で、それらがあると再び新年を迎えられることに感謝する。木々の生長は春から夏に大きく、秋から冬に小さい。この活動の大小が年輪の濃淡に表れる。人間が「年を重ねる」というのは木々の年輪になぞらえたもので、私たちの体に年輪は刻まれないかわりに、見えない経験の層で厚みが増しているはずだ。
周期といえば、十二支もある。今年の巳年が終わって午年を迎えるが、次の72歳の子年を迎えることはできるだろうかと、これは体力の衰え方が激しくなってきた感じから不安である。
さて、自覚できる最も短い周期は呼吸である。心身を安らかにして観察すれば、もっと短い心拍も感じ取ることができる。植物たちはもうすぐ朝が来るというような、またはもっと別の周期を感じて生きているのだろうか。
新年の準備 251230
2025/12/30
護国神社に元旦の花を献納に行った。境内のピンクの山茶花や赤椿は満開で、梅の古木にも赤い小さな花芽が認められた。
神社の献花に新風を持ち込むなどという気はなく、王道の花材を準備した。若松、大王松、南天、千両、蠟梅、椿、黄菊、白菊、水仙と金色の着色柳である。日頃は花木の名前をカタカナで書くところを、漢字で書きたくなるというのも、神域の持っている空気が影響したように感じる。それらの花材を組み合わせて、本殿の左右に一対、社務所の受付に1瓶、社務所の広間に通じる床に1瓶の計4瓶を2人でいけた。
初詣をひかえたこの時期は、参拝者も少ないだろうと勝手に決め付けていたのが、多くの人が参拝や七五三に詣でていて意外に感じた。お札やお守りは初詣で買い求めるものと決めてかかっていたのも、多くの人が買いに来ていたので驚いた。
確かに、新年が明けてから買うというのでは、新年早々の大事な元旦から初詣までに空白時間ができてしまう。新年の献花祭は1月2日に行うが、それは建前であり「しるし」であって、今日の事前の設えが実質的な新年のための花である。
耳目を開くこと 251229
2025/12/29
目や耳が悪くなると、無理するのはしんどいから、新しいものに触れようとする欲求が減退する。すると反動なのか、目も耳も閉じた就寝中に思いがけない夢を見て興奮しがちになる。しかし、記憶力も衰えているので覚えておきたいシーンも忘れてしまう。せめて覚えている所だけでも夢日記に書き残そうと思うけれど、体力も弱っているので起き上がる気力が萎えて再び眠りに落ちていく。
さて、感覚器官が外に向けて開かれている状態は、生命が活性化している証拠だろう。生命活動が小さくなると、内臓は何とか自律的に働いていても、アタマの働きは鈍っていると思う。
健康というのは、精神的なものと身体的なものというふうに、心身の2面から論じられることが多いが、五感の働き具合こそが健康のバロメーターだ。
よく笑っていられるためには笑う感受性が刺激されていないとダメなわけで、高齢者の習い事というのは、喜怒哀楽の感受性を活性化させるために理に適っていると思う。人間同士だとストレスが生まれて衝突も起こるだろう。花が相手だと、悪態をつく必要もなく、穏やかな関係を築ける。
ただ待つこと 251228
2025/12/29
昭和を振り返るテレビ番組があって、フィリピンの島で戦時下の命令を守って30年間ジャングルに潜んでいた小野田寛郎さんを発見した様子が映された。
政府も後押しをして、9千万円もの費用と人員を投入し、家族が直接呼びかけても森から出てはくれなかった。ところが、世界を放浪していた25歳の鈴木紀夫さんが、1974年に小野田さんが潜んでいるであろう森の近くにテントを張り、作為的にボンヤリを装って5日間ほど過ごしていると、小野田さんの方から彼の前に現われてくれたのだが、ひょっとすると、鈴木青年は作戦を遂行したというよりも、意識的にほとんど無策で臨んだのではないかと思い当たった。
ビジネスの世界に慣れると、合理的に成果を求める姿勢が身に付き、コスパやタイパがいい方法を選択する。しかし、小野田さんの30年や、鈴木青年の放浪癖は、時間のルーズな使い方にも罪悪を感じない、非論理的流れに身を任せる術を体得させたのではないか。
いけばな作品のイメージを呼び出そうとする時にも感じる絶望感は、彼らのように「ただ待つ」ということで、案外解消するかもしれない。