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いけばな随想
diary

男性のいけばな 251022

2025/10/22

 高市早苗首相が誕生し、テレビ局が街の人々にインタビューする。「女性初の総理大臣として頑張って欲しい」というような回答が、恣意的に切り取られているような気がして、日本のマスメディアのかねてからの後進性が浮き彫りになるのだった。それを中心的な話題にすること自体が、世界の先進国から30年遅れている。
 最近は少なくなったが、25年前に「いけばなが趣味です」と言うと、女性は特に気に留めるでもなく「いいご趣味ですね」と返してくれたが、意外にも男性からは珍しがられた。
 草月の家元は、男・女・男・女と継承されてきて、次の予定は男だ。たぶん自然な流れでこのようになっているので好ましいが、いけばな界全体で見ると、会員は女が多く家元は男が多い実態は、政治の世界以上に特殊なのかもしれない。
 さて、紀貫之の『土佐日記』の冒頭は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとすなり」である。男が女のフリをして男の日記を書くという二重裏返しの設定に、取り換えのきかない男女の別があったことが表れている。千百年も昔の平安時代の話だという気がしない。

好きを広げる 251021

2025/10/21

 夫婦で食事に行くと、昔は「おいしいね」「きれいだね」「サービスが行き届いているね」と、いい点ばかりが目に付いて楽しかった。人生を重ねると好きが増えるかというと、とんでもない。近頃は「火が通っとらん」「このベチャッとした天婦羅は何なん」「このサラダ、キャベツが干からびかけとらい」と文句ばかりで、これはこれで楽しい。
 歳を取ると嫌いなことがはっきりしてきて、好きなこともくっきり明確になる。嫌いなものだらけの大海に、好きなものが孤島のようにぽつねんと浮かんでいる様子ではあるが。それだけに、好きなものは貴重である。
 そういうわけだから、私はいけばなを大々的に普及させたい。いいとこだらけのいけばなを、群島のように広げたい。自分の好きな陸地が広がると、自分にとってとても気持ちがいいはずだ。これは、考えると非常に利己的で、本能的な行為である。人間は歴史的に、自分の居心地のいい領土を拡大するために戦争をしてきた。自分の好きを広げることは、他人に領土争いを仕掛けることである。
 いけばなという上品な印象を武器に、世界征服を企むのだ。

自分がないという自分らしさ 251020

2025/10/20

 オリジナリティを獲得する方法をどうにか学ぼうとする気持ちは解るが、他人に学ぶくらいナンセンスなことはない、ということも誰もが解る。他人の方法を真似した瞬間に、その人は独自性の土俵から転げ落ちるというのに、自分らしく振る舞うためのノウハウがどこかにあるのではないかという望みを捨てることができない。
 だれ一人試みたことがないことをやってみる勇気は、多くの人が持ち合わせていない。だから、どこかで誰かがやったことの中から、あまり知られていない小さなヒントを見つけて、一部分だけこっそり真似をする。または、誰かの試みと別の誰かの試みを組み合わせてみる。
 私などは、その組み合わせ方に自分らしさがあるのです、とうそぶく。たくさんのいけばな作品を見て、心に留め置こうと躍起になって、写真もバシバシ撮っておく。これが果たして役に立つのかというと、私の場合は記憶したものと違うことをやりたいと思うから、けっこう役に立つ。私には、確固とした自分があるというよりも、ないことによって、常に他人から距離を置くことで自分らしさを保とうとしている。

祖父と花器 251019

2025/10/19

 知人を介して、苗字しかわからない女性の家へ行った。亡義母とは特に交流があったとわかった。かつて草月流のいけばなをやっていて、足が弱ったこともあり、花器の引き取り手を探していたのだそうだ。7つばかりの花器が、少し埃をかぶっていた。それを本人の目の前で吹き払うのも失礼と思い、1つずつ丁寧に受け取った。
 彼女が突然「私も旧姓は玉井なのよ」。ルーツを聞き合うと、共に旧周桑郡。祖父が戦争で満州に行ったと話すと、向こうも同じだと言う。先祖は小さな山城か砦の主だったが、秀吉の四国征伐でいち早く逃げたと聞いた話をすると、向こうもそんな話を聞いたような気がすると言う。これはひょっとすると遠戚かもしれない。
 今日が初対面でもあるし、どこまで盛り上がっていいものか互いに遠慮も働いて、資料や親戚の記憶に当たり直してから改めてお会いしようと思った。自分のルーツに対してこんなにもこだわりなく過ごしてきたのかと、今更ながら情けない。
 草月がご縁をつないでくれた機会である。できることならば、いただいた花器には、こだわりのある花をいけたいと思う。

いけばなの流派 251018

2025/10/18

 小原流・松山支部の花展を観た。以前にも増して草月流との差異を感じたのは、私の草月のキャリアが長くなってきたことによる。良くも悪くも、教育は人を教え育て、所属する社会に適合する性質を強める。
 しかし、流派は違えど、いけばなはいけばなだし、かつて小原流三世家元の小原豊雲と草月流初代家元の勅使河原蒼風とが二人展を開いたように、ライバルは仲間でもある。だから、共通点も観なければならない。
 いつもこのように思って、池坊や嵯峨御流のいけばな展にも足を運ぶ。しかし結果的には、手前味噌な感情を抱いてしまう。悪くいえば「草月脳」に洗脳されてしまったわけで、こうなると「草月ありき」の信仰に近い気分である。
 アーチスト活動の本来の姿は、個人的存在として表現に取り組むものだと思っている。実際に、中川幸夫のような“好戦的”な華道家もいる。そして、どの流派でも、初代の家元は皆そうなのではないだろうか。私はまだ、個人作家になっていない。草月流構成員の一人だ。雅号を名乗ってはいても、実質的には無名の1人として流派の表現に加担しているに過ぎない。

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