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いけばな随想
diary

好きな理由 250805

2025/8/5

 世の中わからないことだらけ。真偽・善悪・美醜についてさえ、やすやすとは説明できないというのに、好き嫌いの理由を説明することなどまっとうにできるはずもない。
 陽が傾いた夕景が好きだというのはわかってもらえたとしても、夜明け前の黎明より好きなわけは? と聞かれたら、「イヤなんとなく、自分は夜型人間だから朝の景色はあまり見たことがないんよ」くらいの、いい加減な答えしかできない。しかし、よく考えてみると昔は初日の出を見に出掛けていたくらいだから、朝陽の反射が少しずつ広がっていく川面の景色など、それはもう大好きなのだ。
 なぜ、それが好きですか? と聞かれて、いけばなが好きな理由をちゃんと答えられた試しもない。決定的な答えがないから、いろいろな角度から説明しようとして、原稿用紙2枚分くらいのボリュームになってしまう。話す方も聞く方もたまったものではない。
 なぜアイスクリームが好きなのか。なぜパンクロックの音は好きなのに、クマゼミやアブラゼミの声は好きじゃないのか。甲子園(高校野球)が始まると中継を見てしまうのはなぜ? なぜだろう。

努力の天才 250804

2025/8/5

 Kさんは努力の天才である。2年前のある日、いけばな教室に来始めた。以降、忘れた頃になるとやって来る。私も積極的に誘ったりしない。ところが、いけばな展や作品の公開機会があると、必ず「やってもいいんですか、わたし」と、前のめりで迫ってくる。
 そんなKさんは、先日ハワイアンのチームにも加わり、11月の公演で早くも初舞台を踏むらしい。他人が聞いたら「気が多い娘さんだこと!」と、否定的に言われかねない。しかし、駅伝を走ったりバトン部だったりというキャリアを知っていると、別に不思議な気はしない。おそらく彼女はずっと全力で試しているのだ、あらゆる人生の可能性を。
 Kさんは稽古に来た時、こちらが心配になるほど時間感覚をなくして集中する。努力の天才は、額に汗かいて頑張るということをしない。雑音を遮断して見たいものと聞きたいことだけに神経を集中するから、呑み込みが特別早い。稽古ノートの書き込みの緻密さにも、腕の上達は裏打ちされる。
 そうして今日、彼女の仕上がった作品を時計の針で5分だけ左に回すのを見て言うのだ。「先生、さすがです!」

留保と拒絶 250803

2025/8/4

 いけばな教室の場で、おじさんおばさんに交じえて高校1年生と話していて、考えさせられることがあった。
 昭和世代にとって3世代同居は珍しくなく、表面的には理解できない素振りをみせていたことも否定はできないが、祖父と孫の間でも分かり合える共通感覚や考え方があった。高校1年の彼は“おばあちゃん子”なので、自分はずっと上の世代も理解できると言う。しかし「もう今の小学生の感覚はわからない」らしく、同世代と呼べるのは上下2~3年くらいの同年代でしかない。
 私の子どもの頃は、親や先生など年長者の権威が強く、ある部分では同調を装うことが世渡りには必要だった。また、世界の情報化が進んでおらず未知なる存在も多かったから、異質なものや不明なものに出会うと一旦留保するというのが、コミュニケーションのスタイルだった。それに対して現代社会と現代人のコミュニケーションは、異物に対して拒絶を示す。
 さて、高校1年の彼は特別である。草月テキストの記述や私のアドバイスを一度は必ず留保し、「ちょっと遊んでみていいですか?」と別の角度から攻めてくるのだ。

わからない面白さ 250802

2025/8/2

 最初に行った外国が、スリランカだった。英語表記もないし、基本的に外国語が通じない。日本の昭和の田舎町と同じだ。わからないことを楽しめるのは、旅行だからである。とにかくわからないのだから、暮らせと言われたら途方に暮れるだろう。
 上半身裸でキコキコ自転車を漕ぐ人が、私に向かって手を振った。ガイドに聞くと「あれは日本の商社マン。あの人は、あなたが日本人とわかったね」首都コロンボの町には日本人の人影が多く、「あれはどういう人か」と問うと、ガイドはいつも「商社マン」と答える。シラサギのような鳥があちこちにいて、「あの鳥は?」と聞くと、答えはいつも「ウサギ」。この現地ガイドにかかると、日本人は全部商社マンで、白い鳥は全部ウサギだ。
 わからないことを一旦受け入れてしまうと、あとは楽ちん。食堂で不思議な物を食べても、寺院で猿に取り囲まれても、全部「こんな感じなんだー」と楽しめる。気分を言葉に変換しなくてよい過ごし方は、ことのほか面白がれることを知った。まだ言葉を覚えていない子どもの感覚かもしれない。始めた頃のいけばなも然りだ。

つぼみと花 250801

2025/8/1

 ポピー(ヒナゲシ)のオレンジ色に咲いた花も、明るく濃い赤色の花も、凛とした強さと儚げな可愛らしさの二面性が美しい。細くて長い一見弱々しい茎も、守ってあげたくなるように愛おしい。ところが、そのつぼみの姿といったら、毛の生えた蛇の頭のようだ。つぼみの表皮の一部が縦に割れて、蛇の口のように赤い色がチロチロと見え始めた時が、いちばん怖ろしい顔つきになる。
 一方、ニゲラのように、つぼみから開花するまで一貫して怪しい姿を晒している花もあるが、彼らはポピーのつぼみほどには生々しくなく、花も薄い青紫の色味が上品で、軽やかでスタイリッシュな襟巻を纏っている感じ。宇宙からやって来た花みたいだ。
 ともかく、ポピーのようにつぼみから開花までの変貌が大きいのは、蝶の幼虫が蛹を経て成虫になる変化に匹敵する。醜いアヒルの仔が白鳥に成長するドラマのようでもある。
 一輪の花ですらこれだけ大きい変化を見せてくれるのだから、花を使っていけばなを作るのであれば、素材の花のイメージからもっと劇的に変化させていいはずだと、草月は言ってきたのではなかろうか。

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