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いけばな随想
diary

美意識 251216

2025/12/16

 フォトグラファーをしている教え子の個展に行った。厳選された作品が、2階の1部屋に6点と、真上の3階に1点。暖房器具のない底冷えのする部屋に、ヒーリング・ミュージックが小音量で流れる。アパートの空き部屋を臨時的にギャラリーとしている会場である。
 ウェディングドレスの女性の肩から下が水の中に<沈んで>いる写真は、左が上で右が下なので、じっと見ていると重力の感覚がおかしくなる。水の中に<浮かんで>いるとも、泳いでいるとも見える。1980年代(?)に注目された、実験的映像作家トニー・ヒルの『ウォーター・ワーク』という短編映画を連想した。
 なぜ、駐車場もない場所で個展を開くのか、なぜアパートの天井と壁を剥がした暖房のない部屋を使うのか、なぜ芳名帳を置かないのか、なぜ7点しか展示しないのか、なぜ1点だけのためにもう1部屋用意したのか、なぜピントの合っていない作品だけなのか、なぜ手漉き和紙風の洋紙にプリントしたのか、なぜ客が見ている間ずっと土間で立ち尽くしているのか……。
 解る気がして、全部を聞くことはしなかった。彼の美意識である。

古い情報も新しい 251215

2025/12/15

 新しい情報は、日々周辺からやってくる。しかし、新鮮な情報は、老いた脳では咀嚼しきれず、消化もできず、吸収率も悪い。いけばなについての動画も巷に溢れているが、実はあまり見ていない。27歳の時の「あの人」の教えが、まだ根を張っているからだ。
 その憧れの人は、「新聞取るな、テレビ見るな。みんなが見ているものは、みんなに見てもらえばいい。君は、君の心と目が求めるものを追え!」と言われた。私は雷に打たれたように、翌日から実行したのが懐かしい。
 あれだけ続けていたはずなのに、専門学校生の進路をあずかるようになって以来、新聞やテレビ、スマホやパソコンに囲まれて過ごしている。しかし、この随想を書き始めてから、外界からの情報よりも、自分の体験や記憶から呼び覚ましてくる情報に対して敏感になった。
 その当時に見聞きしたことは、その時点の経験量を基にした浅い理解だったが、いま2倍の年数を経験して記憶総量も増え、その気になって記憶や記録を発掘すると、改めて新しく掘り出せる情報があるとわかった。その情報は、いい意味で発酵していて味わい深い。

名前のこと 251214

2025/12/14

 正岡子規の俳句革新運動が継承されてきた文芸誌『ホトトギス』は、夏の訪れを力強く告げる鳥の名称でもある。一方、植物のホトトギスは、開花時期が7~11月頃で、季語としては秋のものだ。植物のホトトギスの花びらの斑点が、鳥のホトトギスの胸の斑紋に似ていたのが、その名の由来らしい。
 さて、我が家のホトトギスである。この真夏の日射に負けて、葉が茶色く日焼けしていた。10月以降、緑色の新しい葉が増えてくれて助かった。そして、寒風が吹いた今日もまだ何本か咲いている。こうしてみると、ホトトギスは暑さに弱く寒さには比較的強いということになる。夏が長かったから調子が狂って、やっと秋になったと感じているのかもしれない。
 今日のいけばな教室で、「野菜・くだものをいける」のカリキュラムをやった人の作品は、好感度が高かった。うまくいった理由は、ネギとかサトイモという名前に惑わされなかったからだと思う。ネギと言うと、青ネギが湯豆腐の上にいたり、白ネギが鍋の中にいる様子を思い浮かべて、私などは嗅覚と味覚が始動してしまい、まず冷静さを失うのだった。

コメント力 251213

2025/12/14

 何事につけても傍観者は口が上手で、現場の当事者は無口で体を動かす。これは、実力というよりも、センスというよりも、資質(才能の質、得意不得意)の違いである。いつの頃からか、テレビのニュース番組にタレントのゲストが登場するようになり、次第にレギュラー化し、今はバラエティ番組顔負けでコメント力を発揮している。
 NEWなNEWSはネットニュースの方が早いので、テレビニュースはニュースを深掘りしなければ視聴者の満足が得られない。深掘りできない時は、ゲストのコメント力でエンタテインメント番組に仕上げて視聴率を上げる。
 いけばなも、だんだんそのように変化してきた。YouTubeその他で制作動画を上げて、料理番組と同じような段取りで事を運ぶ。喋りも上手な、羨ましい人が大勢いる。
 だから、各流派の家元も大変だ。奥の院で鷹揚として座ったり寝たりしていられない。常に前線に立って人一倍動き、誰よりも喋っている。私は、頭の中では口数が多い自信はあるが、人前では構えてしまい、硬くなったり長くなったりするのだ。鼻歌を歌うように、言葉が自然体で出る秘訣はないものか。

二刀流 251212

2025/12/13

 プロは1つの物事に腰を据えて取り組むことが、かつての日本社会では期待されていた。他のことに手を出すと、残念だと言われたり不謹慎だとまで言われた。野球界に大谷翔平くんが現れて、頑固な日本人もやっと一芸は多芸に通じることを再認識しただろう。
 さて、どんなプロにも、その実力にはピークがある。だから、1つの物事の狭い了見だけで勝負すれば、ピークを過ぎたらお仕舞いだ。だから私も、2つ以上のエンジンを担いで乗り切りたい。1つのピークが過ぎても、別のピークがやってきて、まだ次のピークが控えているという具合。
 思うのは、兼業農家の知人たちの力強さである。会社勤めをしている間は分からなかったが、彼らは勤め人をしながら週末農家というスタイルを、時には平日の出勤前後に、長いこと私に悟られずにやりくりしていたことである。いきなり今日から農家です、というわけにはいかないことが、私もささやかに庭仕事をして分かる。
 二刀流は、実力の問題というよりはセンスの問題である。二刀流をやる人は自らそれを苦にしないが、やらない人はやる前から苦にしている。

講師の事