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いけばな随想
diary

祖父と花器 251019

2025/10/19

 知人を介して、苗字しかわからない女性の家へ行った。亡義母とは特に交流があったとわかった。かつて草月流のいけばなをやっていて、足が弱ったこともあり、花器の引き取り手を探していたのだそうだ。7つばかりの花器が、少し埃をかぶっていた。それを本人の目の前で吹き払うのも失礼と思い、1つずつ丁寧に受け取った。
 彼女が突然「私も旧姓は玉井なのよ」。ルーツを聞き合うと、共に旧周桑郡。祖父が戦争で満州に行ったと話すと、向こうも同じだと言う。先祖は小さな山城か砦の主だったが、秀吉の四国征伐でいち早く逃げたと聞いた話をすると、向こうもそんな話を聞いたような気がすると言う。これはひょっとすると遠戚かもしれない。
 今日が初対面でもあるし、どこまで盛り上がっていいものか互いに遠慮も働いて、資料や親戚の記憶に当たり直してから改めてお会いしようと思った。自分のルーツに対してこんなにもこだわりなく過ごしてきたのかと、今更ながら情けない。
 草月がご縁をつないでくれた機会である。できることならば、いただいた花器には、こだわりのある花をいけたいと思う。

いけばなの流派 251018

2025/10/18

 小原流・松山支部の花展を観た。以前にも増して草月流との差異を感じたのは、私の草月のキャリアが長くなってきたことによる。良くも悪くも、教育は人を教え育て、所属する社会に適合する性質を強める。
 しかし、流派は違えど、いけばなはいけばなだし、かつて小原流三世家元の小原豊雲と草月流初代家元の勅使河原蒼風とが二人展を開いたように、ライバルは仲間でもある。だから、共通点も観なければならない。
 いつもこのように思って、池坊や嵯峨御流のいけばな展にも足を運ぶ。しかし結果的には、手前味噌な感情を抱いてしまう。悪くいえば「草月脳」に洗脳されてしまったわけで、こうなると「草月ありき」の信仰に近い気分である。
 アーチスト活動の本来の姿は、個人的存在として表現に取り組むものだと思っている。実際に、中川幸夫のような“好戦的”な華道家もいる。そして、どの流派でも、初代の家元は皆そうなのではないだろうか。私はまだ、個人作家になっていない。草月流構成員の一人だ。雅号を名乗ってはいても、実質的には無名の1人として流派の表現に加担しているに過ぎない。

快楽のいけばな 251017

2025/10/17

 愉悦と言うと精神性に傾き過るので、その感じを快楽と名付けたものかどうか、シンプルに幸福感と呼ぶ方が合っているか、言葉の選択に迷う。
 一昨日、才能に思いを寄せた。いけばな作品に才能が現れないことはないのは当然だ。しかし、どんな大芸術家にも習作や駄作があるように、才能は1点の作品に十分現れるという保証はない。それよりも確実なのは、そういう習作や駄作を含めて(仮に世に認められる作品がないにしても)、その制作行為に快楽を伴って没頭する時間を持っていられることが才能である(没後に価値を認められた画家の、何と多いことか!)。
 つまり、第三者は生産された成果(作品)に注目するしかないが、制作者本人は、自分が消費した時間によって日々を生きている。消費する時間とその時間に費やす体力や精神力の総計が、生産された作品の評価と釣り合わなかったり、報酬に置き換えられなかったりするのはよくあること。
 課題は見えている。音楽や芝居やダンスのように、演じる者と観客とが同時に同様の快楽を得られるような、そんないけばなの時間が提供できないだろうか。

変化と回転 251016

2025/10/17

 生きている証拠は、変化すること。保存性が低く、いけ終わった途端に枯れ始めるいけばなは、生きた芸術だ。人間も老いるとしても、変化しているというだけで生きて表現し続ける存在である。この私のモットーに、1つ加えたい見方が頭に降りてきた。それは、直線的に変化するだけでなく、自転車の車輪のように回転しながら変化することだ。
 普段ママチャリに乗っている時には感じないかもしれないが、競輪選手の足を見ると足がペダルに固定されていて、踏み込む力と引き上げる力が両方働いている。ママチャリでは、踏み込む力は発揮できても、特にサンダルのような履物の場合はペダルを引き上げることができない。
 トラック運送も同様で、発地から着地まで荷物を運ぶと、片道分の運賃がもらえるに留まるが、帰りも荷物を積めば往復分の報酬をもらえる。人生、いいことも悪いこともあるけれど、いい時だけ喜んで終わりにするのではなく、悪い時もせめて良い教訓を得るように心掛ければ、回転運動の効率を得ることになる。
 いけばなは、毎日水を換えよう。回転運動のように新陳代謝がうまく回る。

いけばなの才能 251015

2025/10/16

 かつての私には、いけばなの才能がなかった。それは、成功と努力とをハカリにかけて、成功が努力を上回らないと感じたとき、稽古に対する情熱が低下していたことでわかる。いけばなをやっていることそのものを、仕事を言い訳に心から楽しんではいなかったという証拠なのである。
 いまは気構えが変わり、一個の自分の作品の出来・不出来を越えて、いけばな全体の隆盛を望むようになっている。自分の小さな成功や失敗という単発的なものではなく、大きな範囲の長期的な進展を指向しているつもり。
 才能のない者は成功しない、これは本当だと思う。かといって、才能がある者すべてが成功するとも限らない。そしてまた、成功というのは、それを行うことによって収入が増えることではなく、楽しく取り組んでいられるかどうかだと言うこともできる。とにもかくにも楽しんでそれができているというのは、大いなる才能だと言えないだろうか。
 私はその点、生徒さんたちに恵まれている。仕事が大変でも、彼氏を放っておいても教室に来てくれる、才能の集団である。いずれ皆さん、大化けしてくれるのだ。

講師の事