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いけばな随想
diary

つくりものの花 250526

2025/5/26

 つくりものには、いいものと良くないものとがある。同じ“つくりもの”でも、絵画の原画は本物と呼ばれて肯定されるが、大塚国際美術館の陶板による複製名画は偽物と否定されもする。生花でつくり上げたいけばなはいいが、工業製品の造花を使ういけばなはよくない。それでは、プリザーブドフラワーという“加工生花”、これは偽物なのだろうか?
 いけばなでは、もともと「枯れもの」や「晒しもの(漂白花材)」、「着色花材」なども使われてきた。これらも、昔の華道家にとっては偽物だったかもしれない。私の思うところでは、本物と偽物の境界は高尚さで線引きされた。
 ところがアートの世界では、アンディ・ウォーホールの作品(マリリン・モンローやキャンベル・トマトスープのプリントなど)には、高尚さは感じられない。むしろ威張り腐った高尚さを否定している。ずっと前から、キッチュさも芸術の価値の一端を担ってきたのだ。
 さて、視野を空間に拡げてみる。部屋から建物へ。建物から都市へ。そこは既に高尚さとは無縁の、ビジョンも計画もない、造花が似合う俗生活のハリボテ空間だ。

夜道の記憶 250525

2025/5/25

 道は道でも夜道である。東京暮らしのとき、日吉で台風による孤立に陥った。友人が少なかった私は一緒に連れ帰ってくれとお願いする相手が見つからず、運休した東急東横線を恨みながら風雨の吹きすさぶ夜道を1人歩き始めたのだった。
 世田谷区上野毛まで何キロあるかはわからなかったが、淋しい自分をじっと抱えているよりは、目的を持って動く方が気も紛れると思った。当時のセブンイレブンは文字通り23時には閉まったし、携帯電話も世の中になかった。荒天の中、多摩川を越える橋を見つけるのに困ったり、田園調布の蜘蛛の巣状の道に引っ掛かったり、等々力渓谷で怖い思いをしたりしながら、ほとんど誰にも会わず歩いた。不安の度合いが大きくなると、暗闇に彷徨いながら正気を失う。アパートに辿り着いた記憶がほとんどない。
 夜のいけばなを、人はわざわざ見ようとはしない。目を凝らしても、その細部がくっきり見えないからだ。しかし、夜の景色が人に影響を与えるように、夜のいけばなも人の心を動かす。夜に紛れた花に惑わされることで、人は人生に必要な不安な夜と友だちになれる。

壺の贅沢 250524

2025/5/24

 花瓶という呼び方が素人臭くて、花器という呼び方をする。しかし、聞き慣れない人にとって「kaki」という発音からは花瓶をイメージできない。花瓶には生活臭があり、花器には生活臭がない。人は生活感が強い物にオシャレを感じにくいのだ。
 高級な旅館には、壺が飾ってある。あれを花瓶と呼んでしまうと価値が下がるかもしれないので、やはり壺と呼んでおきたい。高級な壺は、花を挿してなくても飾りとして成り立っている。花瓶に花がないのは少し頼りない。
 いけばなには剣山を使う水盤と呼ぶ花器もあるが、なぜか水盤を飾っている場所はない。花をいけていない水盤は、サマにならない。絵皿を立てて飾っているのは、絵を見てもらいたいからで皿を見せたいのではない。花器の水盤にも絵を描いておけばいいじゃないかと思ったが、そんなものをつくる作家がいない。
 いろいろ考えた挙句、言いたいことがまとまってきた。生活感のない花器はその機能性に着目した呼び方なので、花がないと機能しない。生活感のある花瓶には高級感が足りない。壺にこそ、花がなくても飾っておける贅沢がある。

花の贅沢 250523

2025/5/24

 花は野菜の親戚である。作るのは農家さんだし、それぞれ旬があるのも同じだし、ビニールハウスで栽培するなどしてある程度は通年で生産できるのも似ているし、流通の発達によって気候の違う場所で栽培されたものを持ってくることもできる。これをつまらんと感じるか、贅沢だと感じるか。
 花は野菜の遠い友人だ。野菜は買ってきて冷蔵庫の野菜室に入れておけば数日間は食べられる。花は野菜と仲良しみたいな顔をしていながら、家庭の冷蔵庫には入らない。ジャガイモやミカンみたいに放ってもおけない。だからちょっと余分に花を買ったとき、もったいないからストックしとこうという作戦が取れない。持ち帰ったら即いけるのが鉄則で、花束をもらっても悠長に眺めていないでサッと花瓶にいけよう。
 花は野菜とは他人かもしれない。何より調理できない。刻んだとしても炒めたり茹でたりできないし、醤油や塩との相性も悪い。
 切り花の一生はとても短い。品種によってはパッと咲いて翌日にはしぼんだりする。見ているその日のうちに散り始めたりする。見るだけなので、カロリーも一方的に消費する。

裏道 250522

2025/5/22

「いけばな、いつからやってるの」と聞かれて、いつも微妙な気持ちになる。
 そこもダメ、あそこもダメで、辛うじて拾われた職場で就職したからには頑張ってみた。でもうまくいかなかったから転職した。いちばん長続きした仕事は18年と8ヶ月。そんな人生だったから、いけばな歴25年は自分でも感心している。長いといえば長い。でも50年やり続けている人に比べると、たった半分だ。自信満々に25年と言うのもこっぱずかしいし、まだまだ駆け出しですよと謙遜するのも嫌らしい、中途半端な年頃である。
 私は40歳で横道からいけばなの道に入った。入ってからも裏道をしばらく歩いてきたように思う。目的意識を持って計画的に参入したのではないし、既に中年に差し掛かっていたのでモノの見方には癖があった。だから、どうしても斜に構えていた。ボクハホカノヒトトチガウノデスという過剰な意識を密かに抱いて、木々が生い茂って昼間でも暗い誰も知らない裏道を、忍び足で歩いてきたのだ。
 目下の課題は、肩の力を完全に抜くこと。花や花器へのこだわりもなくし、道の裏表もなくすこと。

講師の事