センスがいいって? 250303
2025/3/3
本人のトークショーにも行っていたので、村上亘さんの作品も展示してある『写真のこれまで/これから』展を愛媛県美術館に観に行った。教養をひけらかして感想を滔々と語りたいところだが、底が知れるのでやめておこう。
写真展は、梅錦という酒造会社の社長だった山川さんのコレクション展で、金持ちの道楽という低俗なものではなく、蒐集センスがとてもいいのである。経営者が成功を収めると人それぞれ何かとお金を使うのは当然で、それを私の物差しでは生活臭の濃い薄いで測定する。で、私は私なりに意固地なので、一般的生活(今日明日の短期的に必要性があるもの。衣食住を満たすために必要なもの)から遠ければ遠いほど「センスええやん!」ということにしている。
しかし、センスええ人の買うセンスええ品は、そのセンスええ人にとっては日々のセンスええ暮らしには欠かせないものなのであった。
三浦工業のミウラート・ヴィレッジ、株式会社セキのセキ美術館など枚挙に暇がないけれど、こういう経営者による文化的資産への働きかけ方には、それぞれの異なるセンスが凝縮されている。
教養 250302
2025/3/3
武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。国木田独歩の『武蔵野』の一文だ。
話をして楽しい人は、こんな気持ちで日々あちこちをあれこれふらついている人だ。どんな話題でも関連性のある経験があるか、本を読んだり知人から聞いたことがある。仮に全く経験がなくても、広い経験を生かして想像力で補完できる。だから、教養がある人には想定外という事態が起きない。また、どんな話題でも相手以上には深入りしない遠慮と、その話題について豊富な言葉を持ち合わせている。
いけばな作品について語るときも、その語り口は少ないよりは多い方がいい。ただし、実際に語るかどうかは別問題で、そのときその場の事情によって黙っていることを選択することもあるだろう。
さて、いけばなを語るために、いけばな以外の話題でもって遠回しにいけばなを語れる人もいる。いけばなをしたことがない教養人は、絵画や音楽の話を借りて遠回しにいけばなを大いに語り、私たちの教養を高めてくれるのだった。
継承者 250301
2025/3/2
事業承継の問題がこんなにも取り沙汰される時代が来た。企業も習い事の教室も同様に、メンバーもリーダーもいなくなる。私が所属している「草月会愛媛県支部」も「愛媛県華道会」も、会員減少は看過できなくなっていて、メンバー全体の高齢化も誤魔化せない。
なかんずく生徒数を確保できているのはどういう教室なのか聞き込みをしても、それで生計を立てていられるようなジャンルはなかなかないようで、あるとすれば学習塾やホットヨガなど頭が良くなるか体が良くなるかという効果が見えやすいもので、「習い事」の範疇から少し外れたジャンルのようだ。
注意すべきは「効果」である。たいていは定められた基準値を上回ったとか、誰かと比べてそれを上回ったとか、相対的に自分の価値の高さを確かめたいという欲求に基いている。いけばなの価値は効果ではない。あくまでも自分中心の世界で自分の表現を追究するだけだ。
自分以外の理由で何かをなすとき、成功も失敗も自分以外のせいにしてしまう。自分の基準と自分の責任をバトンタッチできる相手を見つける幸せは、稀有なことなのだろうか。
恩返し 250228
2025/3/1
共に誕生日が2月だったので、父母を思い出すことも多かった。恩を受けた当人は有難さをあまり感じていないことが多い、というのは私自身のことで他の人はどうだか知らない。
思い返すと、同居していた父方の祖父は蜜柑の木を育てる指導員をしていた関係か庭木の多くは果樹だった。ザクロ、イチジク、カキ、ブドウ、シャシャブ、サンザシ、イヨカン、ナツカン、ハッサク、ウンシュウミカン等々。他にモクレン、ツゲ、マキ、サルスベリ、ナンテン、ツバキ、センリョウ、マンリョウ、キンモクセイ、ムクゲなどがあって、他はマツの盆栽やランの類の鉢が並んでいた。
その頃の風景を今でも覚えているということとその木々の世話をいま私がしているというのは、血は争えないということなのだろう。その後私が植えたり挿し木したものはノバラ、モモ、シマトネリコ、クロガネモチ、クチナシ、アジサイ、アメリカハゼ、マンサクだ。しかし去年ツゲが枯れ、今年は白い花のツバキの1本が危うい感じだ。
1年草の花に比べて育つのに時間がかかるぶん、枝ものには情が湧く。親の供養として見守っている。
ステージ 250227
2025/2/28
料理のジャンルには世界大会があって、愛媛県内でも私の知っている何人かのシェフがそれに出場して見事に賞を獲っている。
彼らの話を総合すると、大会の性質や審査員の顔ぶれの分析に始まり、傾向と対策を練り、食材と食材の組合せを研究し、盛り付けるプレートを選び、自国料理の伝統やオリジナリティの見せ方を追究し、新しいものによる驚きや感動を潜ませ、完璧な時間管理を体に覚えさせるなど、その徹底には隙がない。
要は、高いステージで事を成そうとすれば、高いレベルで準備しなければならない。準備に妥協しない者として、どのステージに身を置く覚悟があるかということである。しかも、すべてのシェフは、自分のレストランの営業を普段通りにこなしながら大会出場の準備をするから大変だ。
さて、いけばなをするために資格は必須ではない。しかし、流派に属していけばなを教えるには資格取得が求められる。4級師範でも教えられるのに、どうして1級師範を目指すのか? それは、教える生徒さんも資格を上げていくから、自分は常にそれに1歩先んじておく必要があるということだ。