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いけばな随想
diary

正解のないいけばな 251030

2025/10/30

「簡単に言えば云々」ということが、よく言われる。いけばなとは簡単に言えば、はなをいけることである。これで終わると身も蓋もない。いけばなは、華道と呼ぶ世界よりも広い。しかし、何でもあり、ということでもない。
 ともかく、剣道や柔道、書道や茶道に比べて、いけばなと呼ぶようになってからの華道は、より一般の方々には分かりにくい存在になってしまったようだ。華道の構えを持ったままで、繰り出す技が多彩になり、ついには反則技までも許容してしまったのがいけばなである。言い方が上品でないかもしれないが、解りやすく言うとこうである。
 特に日本人は良い意味で保守的だから、混沌とした国際社会において“伝統が失われていない日本文化”が注目され、浮世絵などは明治時代から外国人に買い求められた。今では抹茶の品不足が起こり、包丁が高値で売れ、日本酒の輸出も多くなった。
 国際化がいち早く進んだものの1つが柔道であろう。青い柔道着も定着し、外国人の審判も増え、国際ルール化が進んだことで、エンタメ性が高まった。いけばなは、華道に比べると正解の範囲が広い。

シェイプアップ 251029

2025/10/30

 夜の11時に4km歩いた。知人宅の郵便受けに書類を届けるためだ。この数ケ月というもの腹囲が強烈に太り、我ながら酷いと気になっていたから、車を使わず歩いて行くことにした。今日だけの思い付きではなく、この1週間は本気でマズいと思っている。
 さて、24歳か25歳のとき、『シェイプアップ』という歌を作り、多重録音ができるカセットテープレコーダーに吹き込んだ。当時は金に困っていて、頭の中にはいつも金のことが渦巻いていた。また自己肯定感が低く、名誉欲にも飢えていた。そんなマイナス指向の数々の考えを、もう1人の自分は“精神の贅肉”と感じており、冬の木立のように心をシェイプアップしたいと思ったのだった。
 いまも様々な雑念がある。あれ以来、心のシェイプアップが全然できなかったこと以上に、身体のシェイプアップが差し当たって深刻な課題だ。
 この半年余り、自分のいけばなにも贅肉が付き始めている。それは、不用な花材を付け足してしまう贅肉と、1本の小枝や1枚の葉を思い切って切れずに残る贅肉だ。もっとストイックでスマートないけばなに仕上げたい。

他有化されないいけばな 251028

2025/10/28

 ドライフラワーやプリザーブドフラワーなど、非生花が世の中に多くなってきた。そのことの良し悪しではなく、生花を中心に扱ういけばなの特徴に関連して、哲学的用語「他有化」に着目したい。
 マルクスの「疎外された労働」というのは、人格から引き剝がされた生産性によって人の労働が評価され、また生産された製品が生産者を離れて購買されて他人の物になるという二面から指摘されている。その意味で、ドライフラワーやプリザーブドフラワーによって製作された作品は、「疎外された労働」による「疎外された商品」である。
 しかし、いけばなは特定の環境(空間と時間の両面)に合わせて制作されたインスタレーションという性格を持っており、その場から引き剥がして別の場所にそのまま移設するということのナンセンスさがあるため、制作者の意図や感性を無視して一人歩きしにくい。
 また、重力に対して微妙な傾きであったり、圧迫力に対して非常に弱かったり、運搬に際して強固に安全に梱包や固定ができないなどの条件も重なり、制作者の目が行き届かない所での「他有化」が困難なのだった。

リハーサル 251027

2025/10/27

 昨日は、いけばな展の撤収日。いけこみが“1日仕事”になるのに対して、撤収は“1時間仕事”で終わる。虚しい。
 ダンスや演奏会などはリハーサルが行われることが多いが、いけばなでは行わない。花材が傷みやすいこと、一度枝を切ってしまうと元に戻せないこと、生鮮野菜以上に花材のサイズや形状や色にバラツキがあることが、リハーサルの労力を無意味化する大きな要因である。団体演舞ではなく個人戦であることもリハーサルを要しない理由だ。また、水を扱うので、試作作業をみんなが行うと、会場じゅうが切り屑と水とで汚れてしまうだろう。そんなわけで、“1日仕事”の準備作業といっても、おしゃべりが半分以上である。
 いけばなは、“下書き”というものがなく、制作のほとんどはぶっつけ本番だ。ただし、頭の中で構想を練るのは自由だから、花材と花器とが決まった時点で、頭の中の下書きはかなり具体化することが多い。問題は、実際の花材を手に入れてからである。
 手に入った花材の持ち味を生かすべく、それまでの構想の全てを捨てるときもあるくらい、花材1つ1つの個性は強い。

いけばな競作 251026

2025/10/26

 県民文化祭・いけばな展は、多くの流派の作品が並ぶ。お客様の屈託のない見方には好感が持てる。とりわけ自分の作品を見入っている人がいると、「私のです!」と言って近寄りたい欲求が起こるが我慢する。
 同門の作品を眺める二人連れとかがいると、すうっと近寄って声を掛ける。「魅力的な枝ぶりでしょう?」他人の作品がネタならば、初対面の人に対しても積極的にコミュニケーションが取れる。プロならば自分をもっとアピールしなくてはいけないと思いつつ、自分の作品には引っ張っていかない。気弱な自分にがっかりする。
 作者の考え方やスタイルは流派の数だけあって、そして個々人の数だけあり、また、見る人の数だけ好みが分かれる。そんな中、私の同伴を厭わず、1時間半もかけて一緒にすべての作品をゆっくりと見てくれたご夫婦がいる。
 自分一人だとわからなかったことが、第三者と感想を交わすことでわかってくる。花材1本1輪へのこだわり、作品と見る人の距離、使う花材の種類と量、意匠と手業などなど。1つの流派だけで開催するいけばな展に比べて、面白さは3倍4倍増である。

講師の事