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いけばな随想
diary

花のコミュニケーション 250601

2025/6/3

 人と人のコミュニケーションに一役買う花がある。誕生日やお見舞いの花。それらは確かにコミュニケーション・ツールの花ではあるが、いけばなではない。いけばなは、その現物を相手に渡してあげることができない。お慶びやお悔やみの言葉と同じで、形を伴わないイメージのコミュニケーションである。
 いけばなは、人間同士だけではなく、人と花とのコミュニケーションでもある。いける人は花材を目を細めて隈なく眺め、軽く触ってみたりもする。枝の太さや硬さを確かめ、木や花の香りを嗅いでみる。
知り合いのいけばなの先生は、もうほとんどご自分の庭木と交際しているんじゃないかというくらい、バラやけむりの木に思い入れが強い。
 それだけでは済まない。いけばなは、それを見てくれる人を想像する。店にいける時、そこの常連さんを思い浮かべる。いちげんのお客さんも想像するし、店主の顏も思い浮かべる。また、歳時記を確かめることもあるし、その日の天気予報も見たりする。気にし始めると際限がない。自分はいけばなを通して、身の回りの環境をどこまでも広く深く知ることができる。

美しさの質と量 250531

2025/6/1

 草月会館での講習会。講師は川名哲紀先生。私自身の作品の出来は良くなかった。いつものように考えが過ぎた自分の状態が、確実に花に表れてしまった。
 講習会のテーマは「いけばなでコミュニケーション」。川名先生の言葉は、家元と同じように説得力がある。文脈を追うだけの字数がないから断片的になるが、たとえば次のようなことをお話しされた。
「百万本のバラが必ずしも大きな愛を表現しているとは限らない。愛情表現は量ではないと、日本人は考える」「日本人は言ってもいいことをあまり口に出して言わない。そのかわり控えめに、口で言わないおもてなしが十分にできる」「素材の第一印象は、いくら技術を駆使しても打ち壊せない強烈なイメージを植え付ける」「いけばなに対する誉め言葉は、『風を感じる』」「いびつな茶碗が『不完全な完全』を表しているように、完結された円というのは動きのない死んだ物体になる」等々。
 投げた言葉が相手のものになるように、いけばなも出来上がった瞬間に、見た人みんなのものになる。見える花に託して見えない思いを伝えるのがいけばなであった。

美味しいもの・美しいもの 250530

2025/6/1

 草月流の会議で久しぶりの草月会館である。会議が夕方まで続くから、泊まるホテルも近郊だ。そこで、飲む店も赤坂見附界隈が多い。
 3年前に、開高健さんが常連だったバー「Kokage」に出会ってから、毎年1晩だけお邪魔する。今年は混んでいたのがウマいタイミングで席が空き、開高健さんがいつも座った場所が初めて私に巡ってきた。お隣の人が葉巻を嗜んでおられたので、私も何年振りかで小さな葉巻のシガリロを注文。ぐはぁ、美味かった! 
 美味いかどうかは、個人的な感覚として必ず評価を下せる。不思議なことに、食べて10分も経ってから「ああ、美味かった」ということはないし、逆に、テレビ番組の試食レポートのように、味わい尽くす前に0秒で「美味い」と言わなければならないレポーターなどは、これもまたやり過ぎである。
 草月会館の和室には、いけばなが飾られていた。美しいという感覚を目で消化するのに2秒、頭で消化するのに10秒くらい、「うん、うん、うん。」と改めて腹で消化するのに3分くらいかかっただろうか。芸術は食べ物より繊維質なのか、消化には若干時間がかかる。

教育者より育成者 250529

2025/5/29

 親が子に教えることに、私は疑問を挟まない。しかし授業料をいただいて職業的に教えることには、神経質になってしまう。もちろん割り切ったこともある。教員が教えないで何するのだと、専門学校で18年教員をしながら自分自身を納得させていた。
 私はフラワーデザインも少し齧ったし、いけばなも多少齧った。問題は今も齧り続けている途上だから、齧り方の早い生徒さんには追い越されてしまうという、当然の事態をどう受け止めるかということである。いけばなも習い事である以上、教える側と習う側に立場が分かれるけれど、教える量は日々減っていくのだろうと弱気になる。
 オリンピックやワールドカップで、さまざまな競技の選手たちが、コーチや監督の記録を次々と塗り替えていく。教えるというのは習う人の上に立つことではないとわかっていても、彼らも先人としての義理だけではない技能を磨く必要はあるだろう。
 昨日の稽古でありがたいことがあった。1人の生徒さんを教えている際に、別の生徒さんが私も気付かないことを指摘してくれた。教育は育成だという意義を、そこに発見できた。

感動を忘れたかも 250528

2025/5/28

 不幸せが続いたあとの幸せは、心が風船のように膨らんでどこまでも風に乗っていくようだ。あまり高く上がり過ぎると破裂してしまうことがある。バンジー・ジャンプは高低差が大きいから正気を失うほどだし、落ちる滝は落差が大きく水量が多いほど衝撃も大きい。
 子どもの頃、見るもの聞くものすべてが初めて尽くしで、何でも夢中になれた。ドン・コサック合唱団の踊りをみんなで真似したり、アントニオ猪木のコブラ・ツイストを兄弟で掛け合ったりもした。
 青年になり初めて上京してからのハイテンションは、数年間続いた。初めて海外旅行に行ったときも、興奮冷めやらぬまま数週間は感動が続いた。その感動の持続時間が、年齢と共に短くなってきたように思えるのだ。逆に、やるせなさや怒りが長く続いて困る。そしてついに、最近は感動が、ない。
 その理由は2つ考えられる。1つは、世の中がつまらなくなったこと。もう1つは、私の五感全部が“耳が遠い”という状態になったこと。または、その両方かもしれない。いけばなも、出会った頃がいちばん可愛かった。今では愛のない家族みたいだ?

講師の事