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いけばな随想
diary

リハーサル 251027

2025/10/27

 昨日は、いけばな展の撤収日。いけこみが“1日仕事”になるのに対して、撤収は“1時間仕事”で終わる。虚しい。
 ダンスや演奏会などはリハーサルが行われることが多いが、いけばなでは行わない。花材が傷みやすいこと、一度枝を切ってしまうと元に戻せないこと、生鮮野菜以上に花材のサイズや形状や色にバラツキがあることが、リハーサルの労力を無意味化する大きな要因である。団体演舞ではなく個人戦であることもリハーサルを要しない理由だ。また、水を扱うので、試作作業をみんなが行うと、会場じゅうが切り屑と水とで汚れてしまうだろう。そんなわけで、“1日仕事”の準備作業といっても、おしゃべりが半分以上である。
 いけばなは、“下書き”というものがなく、制作のほとんどはぶっつけ本番だ。ただし、頭の中で構想を練るのは自由だから、花材と花器とが決まった時点で、頭の中の下書きはかなり具体化することが多い。問題は、実際の花材を手に入れてからである。
 手に入った花材の持ち味を生かすべく、それまでの構想の全てを捨てるときもあるくらい、花材1つ1つの個性は強い。

いけばな競作 251026

2025/10/26

 県民文化祭・いけばな展は、多くの流派の作品が並ぶ。お客様の屈託のない見方には好感が持てる。とりわけ自分の作品を見入っている人がいると、「私のです!」と言って近寄りたい欲求が起こるが我慢する。
 同門の作品を眺める二人連れとかがいると、すうっと近寄って声を掛ける。「魅力的な枝ぶりでしょう?」他人の作品がネタならば、初対面の人に対しても積極的にコミュニケーションが取れる。プロならば自分をもっとアピールしなくてはいけないと思いつつ、自分の作品には引っ張っていかない。気弱な自分にがっかりする。
 作者の考え方やスタイルは流派の数だけあって、そして個々人の数だけあり、また、見る人の数だけ好みが分かれる。そんな中、私の同伴を厭わず、1時間半もかけて一緒にすべての作品をゆっくりと見てくれたご夫婦がいる。
 自分一人だとわからなかったことが、第三者と感想を交わすことでわかってくる。花材1本1輪へのこだわり、作品と見る人の距離、使う花材の種類と量、意匠と手業などなど。1つの流派だけで開催するいけばな展に比べて、面白さは3倍4倍増である。

制作の裏側(その2) 251025

2025/10/26

 昨日は1輪だけ開いていたカサブランカが、今日は3輪開いた。大振りな花器を2本使っていたので、それが咲いてくれなかったら重心が下がってバランスが悪いところだった。昨日のいけこみ時点でやや小振りなトルコキキョウを使うのをやめたのは、花器の存在感に対して負けてしまうと感じたからだ。
 前後に配置した2本の花器のうち、手前の花器の口元はよく目立つ。口元のだらしなさを引き締めるために「葉もの」のドラセナとヤマシダを用意していたのだが、カサブランカの花と葉で何とかなると判断して、ドラセナとヤマシダを使うことをやめた。
 手前の白い花器に赤いウメモドキと白いカサブランカ、奥の白い花器に緑のアセビ、これで粗削りに仕上がった。白い背景に対して、白・赤・緑のシンプルな配色である。その後は、ウメモドキの苔むしてごつごつした枝と、細くて直線的なアセビの枝を際立たせるため、不用な枝葉を切り落す。花器2本の一体感を出すために、後ろの花器から切り落したアセビの小枝を手前の花器に挿す。
 ウメモドキの枝を、花器が倒れないギリギリまで傾けて完成させた。

制作の裏側 251024

2025/10/26

 いけばな展に出品することが決まるのは、数ヶ月前である。構想の順序は人によって違うし、私の場合はその時々によっても違う。
 今日の県民文化祭・いけばな展では、くじ引きによって会場入口の席を引いたので、まず「迎え花」としての性格を持たせようと決めた。展示台や背面パネルが白いことがわかっていたので、赤い花材を使うことを次に決めた。運よく苔むしたウメモドキの枝を見つけられた。そのウメモドキは、たわわに付いている小さな赤い実を見せるため、1枚の葉もない。それで、ツバキのつやつやした濃い緑の葉を合わせようと思った。頭の中で組み合わせをいろいろ試みた結果、仕上がりの重厚感がぬぐい切れず、最終的に細い枝の線が美しいアセビを選んだ。
 花器は手持ちの花器から、土色の背の高い陶器の1つと、真っ白な背の高い磁器2つを候補に、花は白い大輪のカサブランカと、白を基調としたややピンク混じりのトルコキキョウを用意し、予備として「葉もの」のドラセナとヤマシダを携えて展示会場へ。
 結果、ウメモドキ・アセビ・カサブランカ・白い磁器2本を使って仕上げた。

枝ものと花鋏 251023

2025/10/26

 いけばなは「枝もの」が命と言ってよい。“線”の表現に欠かせないからだ。「葉もの」や「花もの」でも“線”を表現することは可能だから、必ずしも「枝もの」が必要だとは言えんだろ? と言うかもしれないが、力強い線やいびつな線、長い線や高さのある線は、枝ものでなければ太刀打ちできない。
 お世話になっている花店で、枝ものについてこんな話が出た。「もうねー、今ねー、ツバキかアセビくらいかな、確実にあると言えるのは」確かに他の店でも、その2つ以外はナツハゼかヤブサンザシくらいしか、枝っぽい枝がない。あとは、枝ものとは言い切れないフウセントウワタやベニアオイが、ここぞとばかりに並んでいるくらいなのだ。
 勅使河原蒼風は、「花がなければ土でもいける」と言っただけでなく、本当にあらゆる物をいけてみせたが、それでも私の心を掴んだのは枝ものの作品であった。
 そして忘れてならないのが、花鋏である。フラワーアレンジメントで使う細身のかっこいいハサミは、葉や花茎を切るには適しているけれど、枝ものと格闘する力強さはない。鍛えられた花鋏の出番である。

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