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いけばな随想
diary

はないけ 250516

2025/5/17

 カレーライスという言い方とライスカレーという言い方のどちらが正しいか、中学生くらいのときだろうか、友だちと議論になった。そのときマセた友だちが、前(頭)にくる語が後ろの語を修飾するから、カレーライスはカレーをかけた御飯の意で、ライスカレーは御飯を添えたカレーだぞ、みたいなことでみんなを唸らせたように思う。
 初めて上京して暮らすようになったとき、徒歩圏内に「二幸」という食堂を見つけた。トンカツから酢豚、塩サバからハンバーグまで定食メニューを幅広く展開していて、学生アパートの隣人たちとお世話になった。私はレバニラ定食を頻繁に注文した。仲間の1人が、オレは田舎に住んでた頃からニラレバと呼んだけどなあと言う。私は少年時代に知ったうんちくをかざし、この店のメニューは少量のレバーを混ぜ込んで炒めたニラである、従ってレバニラなのであると結論付けてやった。
 一度気になってしまうと放っておけない性格だから、いけばなはいけられた花である? 一方、はないけは花をいけることである? 全くの言葉遊びだと割り切ってあなたはどっちを選びますか?

木を見て森を見ず 250515

2025/5/15

 花が「いけばな」になるというのは、花という植物存在から、作品という意思のかたまりになるということ。初めに花としてただそこにいて、人の気持ちなど何も込められていない状態から、いけばなになった途端に花そのものの存在が消えて、「私」の意思で形づくられた「私」の分身がそこに出現するのだ。
 いけばなを見る側の人に強く求めることはしないとしても、いけばなは花を1本、2本、3本……と足し算したものではなくて、掛け算によって花ではない新しい何かが表されていると知っていただけると幸いだ。花を足し算で見る見方は「木を見て森を見ず」という見方で、木を何十本も足したところで森の全貌は見えてこない。
 ただ、いけばなの場合は引き算をしていることもあるから、裏事情は単純ではない。
 制作過程で一旦は森をつくっておきながら、どんどん伐採していって開墾された大地に一本松が残った、みたいないけばなもある。初めから立っていた松と同じ松に見えたとしても、周りの松が消失することによって、それは例えば祈念の対象の松として新しく意味づけされて変身しているのだ。

裏切者の花 250514

2025/5/14

 私は裏切者である。いけばなの師匠をしていながら、いっぱしの花鋏を使っていないし、あまり研がない。いけばな教室で用意する花材は、できるだけ安く買い求める。
 自慢できるのは、教室で時々提供するのは最高級の金平糖だったり、しれっと置いているアート作品は作家から直接買ったもので、かなりのお金を使っている。BGMもサブスク配信ではなく、全曲が購入したCDかレコード盤から厳選してダビングした曲をかけている。18歳頃から売買を繰り返してきたコレクションなので、かなりの手間暇をかけている。
 以前、好きな花はヒナゲシだと書いたが、本当は特別に好きな花はない。いけばな展の時ですら、あらかじめ使いたい花があったりはしない。とにかく花への思い入れがあまりないのだ。だから私のいけばなは裏切者の花なのである。
 小松要というフレンチのシェフはいつも、野菜や魚を地元の生産者1人1人に「なんかいいのがあったら持って来て」と発注した。で、やってきた食材たちを眺めながら、その日お客さんに振る舞うディナーの献立をつくった。そんな彼に私は惚れて毒された。

理由 250513

2025/5/13

 久しぶりに観た映画『リンダ リンダ リンダ』に、「きみに会いたいから、ぼくは学校に来ている」というクサい台詞を一生懸命相手に発しているシーンがあって、思わず胸が踊った。私はあの頃、何か理由を持って学校に通っていただろうか。思い当たる節はたくさんある。恋愛がらみの恥ずかしい理由と、行き当たりばったりに出現する楽しいことに出会えそうな予感とである。
 いけばなを続けていられる理由も、どうやらこの「予感」にある気がする。この感覚はジャズを聴くときにも味わうもので、知っている曲なのに意外性が出現する愉しさだ。高校生活はまさに、毎日が同じような繰り返しみたいに思えても必ず新しい明日がやって来た。
 いけばなは同じ花材を何時間もこねくり回すことができないから、次々に新しい顔を持って来なくてはならない。同じ台本でも、いつも俳優陣が異なっているというわけだ。
 何かをやるとき、必ずしも理由があるとは限らない。いけばなをする前に理由がなくても、いけばなをやった後に理由が見つかれば儲けものだ。予感が当たって何かに出会えると、もうやめられない。

発表会 250512

2025/5/12

 幼稚園では、イエス様生誕の芝居をやった(という記憶はなく、親から聞いて刷り込まれた)。私の役はヨセフで、マンドリン部に所属していた同居の叔母が私に応答のリズム感がないのを心配してオルガン教室に通うよう父を説得したのか、1年だけ通った。しかしホントに周りとリズムが合わず、私はオルガン教室の発表会で木琴を4小節だけ叩いた。
 小中学校ではサッカーをやって、試合ばかりで発表会はなかった。高校では美術部だったから文化祭や他の美術展に出品し、大学では演劇サークルで舞台を踏んだり、バンドでステージらしきものを経験した。集大成として25歳のとき、小さな貸しスペースで無茶なワンマン・コンサートをやってヒンシュクも買った。
 以来いけばなを始めるまで、発表会を開く機会はなかった。いけばなにしろ何にしろ、展覧会はチト怖い。基準がお客様の側にあるからだ。
 その点、発表会は底抜けに楽しい。他人はもうどうでもよくて、ありのままの自分を発表する場だから。映画『リンダ リンダ リンダ』に勇気をもらって、もう一度底力を出し切る発表会をしたいものである。

講師の事